Hope Creatorの人達に共通するもの
AcumenのManifestoの一部にある言葉「Creating hope in a cynical world」
大人になればなるほど色々と現実社会で起きていることを知ってしまったり、自分を守るための術を覚えてしまったり、周囲からの期待値内に妥協しながら自分を押し込めてしまったり、メディアの発するcynicismに慣れてしまったり・・・Cynicalになる材料に囲まれて過ごす時間が増えていきます。
それでも、Cynicalなままでいるか、Hopeのcreator側に行くか。一旦現実を見た人がどういった選択をするかという話には少なからず自分がどういう仲間に囲まれているかに影響される部分が大きいのではないか、と最近感じます。
なぜならば、人に様々なもの(笑顔、勇気、希望、愛、パッションなど)を伝染する力はHope creator側の人のほうが強いから。
ここでいうHope creatorとは世界/社会に関して「自分がこう動けばこう良くなると思う」という「Have the humility to see the world as it is, have the audacity to see the world as it could be」のメンタリティを持っている人達のこと。結構彼らは現実的。現実的だけれどhopeful。
hopefulでいるのは理想主義と似ていてちょっと違うもの。
で、最近そういう人達を見てて共通してあるなー、と感じるものに「自分を愛する力」や「自己肯定感 (Self Esteem)」の高さがあります。以前はこれらは子どもの頃の体験によってある程度固まるものだと考えていたのですが、大人になってからも誰とどう過ごすかによって強化されていく部分もあるのではないかと最近は思うようになりました。
以前「Living in Peaceの対談ブログ(慎さん&乙武さん)」に引用したフレーズで
「自分を愛する力は、結局他人から愛されることで身につく力だと僕は痛感するんです。他人から愛されることによって、人は自分を愛する力を身に付けて、さらにそれが他人から愛される力になるんですよね」
というものがありました。
Hope creatorさん達を見てて感じるのはここで使われてる「他人」が両親とか人生のパートナー的な立場の人のみならず、もっと広い範囲の人を含んでいるのではないだろうか、ということ。
志を抱き行動している仲間同士が与え合っている尊敬の意や思いやり。行動/結果に対する周囲からのフィードバック。そういったものを受け取る機会全てがおそらく「他人から愛されること」の一部となっているのではないかな、と。そして本人達が意識していない形で静かに彼らの「自分を愛する力」は強化されていく。自ら意識的に「自分を愛する力」を強化しよう!と考えた訳じゃないにも関わらず、彼らの様々な選択の結果がそういう形になって現れていくという姿はなかなか興味深いです。
そういうのを見ながら最近は「リーダーシップ」とか「クリエイティビティ」のように、「自分を愛する力」も自身の選択(機会、環境、意志)や体験によってある程度発達をサポートしていくことが可能なのではないだろうか・・と思ったりしています。
ちなみに以前ブログに書いた事がある「自己効力感(Self Efficacy)」は自分の、外界に対する影響力に対する話ですが、今回の自己肯定感はもう自分の内面/価値寄りの話かな、という理解です。
教育ではSelf Efficacyを体感させる経験が重要といった話がよく出てきますが、個人的にはまずは自己肯定感あっての自己効力感強化じゃないかな、と思ったりもします。
友達と「パッション、勇気と笑顔は伝染する」という話をしていたら「大人版アンパンマンの主題歌みたい」と言われました。笑。 http://dic.nicovideo.jp/より