Tomoko Matsukawa 松川倫子

View Original

英語力の壁、未来を想像するチカラ

授業がバタバタっと始まる中、ブログへの共有時間をどう自分のスケジュールに組み込むか模索中です。できるだけ断片的にもちょこちょこと共有しようと思います。

英語が思った以上にもどかしい

想像以上だった英語力の壁も経験しています。

あまり得意分野でない社会科学系の話になると特に。大変なのは吸収したクラスの読み物&クラスディスカッション&教授の問いに対してその場で反応&発言すること。そもそも問いが頭を少々使わないと消化できないものや自分の中に答えがないものが多く、ぽんぽんとネイティブの生徒が発言していくものに更にかぶせていかなくてはいけないので後になればなるほど難しくなる。しかも他の生徒の発言内容も相当注意していないと意味が分からない。

例えばこんな問い・・・・

「近年『20世紀と21世紀は大きく異なっており1995年の時点で良いとされていた教育のあり方は21世紀を生きるために必要な準備をしてくれない』という前提を良く聞くけれどもこれは本当か?」

 「20世紀流の教育のあり方は何かが構造的に欠けているのだろうか?だとしたら何が欠けている?」

日本語で行われていてもきっと頭をフル回転しなくてはいけないような内容なので日英での頭の中の処理速度のほんの少しの違いがパフォーマンスの大きな違いに・・・。とりあえず訓練するしかないようです。

とはいえさすが教育学部、個人にはそれぞれの学び方や学びの共有の仕方がある、という信念のもと、様々な方法でのクラス貢献を認めてくれる教授なので(クラス内発言、TwitterやDiigoやクラスディスカッションページでの情報共有量と質、プロジェクト提出物)そこまでクラス内で発言が出来ない事にプレッシャーは感じていません。(全員が発言できている訳ではもちろんないし)

でも他の生徒が言っていることが完全に理解できないのはやはり不安を感じます。新しい分野の勉強って大変・・・ビジネスや金融の世界の話が懐かしい(遠い目)

未来を想像し、そのときに必要な学びについて考える

また、議論を活性化させるためにDede教授は動画をたまに使います。初日に見せられたのはこちら。

See this content in the original post

これを見せられた後に言われたこと

未来は予測できないので、もちろん詳細がどうこうという話をするために見せたのではない。ただ、このような方向に未来が向かっていった時、我々人間に求められる知識/スキルはどのようなものだろうか?今の教育のあり方でその知識/スキルを身につける為に不足しているものは何だろう?

様々なテクノロジーが台頭する中で「学び」に活用できるものは何で、それはどのような課題を解決するのか、どのような成果を測る必要があるのか、導入や従来の教育手法との融合のあり方は?それらのリスクや弱みは?

授業で見せられた訳ではないですが似たような動画のこちらも紹介。

See this content in the original post

最後に先生の話していた具体的な話。

椅子を指しながら

  • 先生「これは何ですか?」

  • 私達「椅子です」

  • 先生「これを『椅子』という単語を知らない子どもに見せれば隠れ場所、物を運ぶ道具、トランポリンのように遊ぶもの、くるくる回転するもの、・・・と色々な答えが返ってきます」

  • 先生「the more you know, the harder you see it from different perspectives is the biggest challenge in adult creativity, IT could accentuate the strange part from familiar to help the process of creativity 知れば知るほど、異なる視点から見ることが難しくなるのが、大人の創造性の最大の課題であり、ITは、創造性のプロセスを助けるために、身近なものから違和感を感じる部分を意識させてくれる効果を発揮してくれます。」

異なる視点から見ることが難しくなる中でこそ、あえてそこをみにいくことの大切さ。これは、私の大好きな「りんごかもしれない」by ヨシタケシンスケさん(絵本ナビ)、の世界観そのもの。

りんごかもしれない(英語版)by ヨシタケシンスケさん

関連エピソード: