両方の考え方を行き来する
以前から思っていたことだけど、最近いくつか似たようなメッセージを受け取る機会があったので、書いてみようと思ったこと。それは
「一見異なる、または対立する二つの考え方を行き来することができる力」の重要性が増しているのではと感じるという話。
今回書きたいと思ったその「二つの考え方」は ①Formative assessmentモードとSummative assessmentモードと、 ② Playfulモードと真面目モード。
Formative assessmentとはあるプロジェクトのプロトタイプ作成の段階で回される小さなPDCA (Plan, Do, Check, Action)の中でおきる仮説検証行程の話。プロトタイプver1C▷A▷プロトタイプver2のPというふうに小さなサイクルが続いて行く中でCから次の小さなサイクルのPまでがざっくりとしたFormativeassessmentにあたる部分。(図表の小さな円で色が塗られている部分)ポイントはあくまでも次のアクションの方向性を定めるような仮説検証が プロトタイプの段階で起きているということこと。
一方 Summative assessmentとは小さなPDCAの積み重ねで完成した最終形を世の中に送り出すとき(大きなグレーの円のD)その次にくるC以降のステップのこと(大きな円の黄色の二つ)。
仮説検証の役割も担うけれども、どちらかというとそこから出てくる示唆の使い道は 既に送り出された同プロジェクトの 改善のためでなく同じプロジェクトのリピート版の改善のためであったり、似た特性をもつ、別のプロジェクトのためであるものが多い。また、仮説検証という側面もある一方でその プロジェクトの価値を「評価する」という
側面のほうが強いものでもある気がする。
私の個人的な感覚だと一般的に「PDCAを回す」と言われている使い方は主に後者の話であることが多い。(新商品開発の時に事前にモニターテストをするのは「モニターからのインプットを元に開発商品に変更をする可能性があるならば」formative assessmentに該当するという理解)
このformative/summativeという二つの考え方は別に前述のビジネスに限った話じゃなくて、むしろ教育の世界で使われている用語だと理解する。そして先日の教授の話によるとformativeの考え方は教育学において過去数十年の間に台頭してきたものでまだまだ「若い」ものらしい。近年急速にその重要性や可能性が検討されている考え方でもある。
教育においてなぜformative assessmentが重要かという話になってきたかというと、学びが終わった最後の方で何を学んだかを評価するテスト(これはsummative assessment)の学習者に対する本当の意味での価値に限界があるから。何を学べましたかを評価して、その結果が次のその学習者の学びに活かされなかったら意味がない。テストで65点でした、って分かったからといってその結果が次のステップに活かされなかればそれはformativeな意味でのアセスではない。
カリキュラムの有効性をアセスする、という文脈だったら一学期の終わりに集まったアセス結果は次の学期の設計に活かせると理解できるので、ある意味formative assessmentになる。そういう違い、formativeとassessment。
学びの体験というものは生き物なので、全てが事前に計画できるものではないので、いかに学習要項とかきっちり決まっていて、何度も何度も提供されているレッスンプランだったとしても、その時その時の学習者のタイプや状況によって色々と微調整が必要とされるものです。調整しても、どんなに先生がベテランでも、学習者との関わり合いをformativeな意味でアセスし、提供する学びの場を調整しながら提供すべき、そういう考え方が背景にあります。Adaptive learningと言われていることはformative assessmentを含めている考え方だと思います。
Sesame Streetが教育の世界であそこまで有名なのは教育メディアにおいてformative assessmentもsummative assessment(世界で最もその学習効果の研究がされている教育メディアと言われています)の両輪が上手く回っているごく稀な事例だからです。
特にformative assessmentの時点で教育学のアカデミアとテレビ局の制作側の協業体制とユーザーとなる親&子供達の事前ヒアリング&プロトタイプのユーザーテスト、その分析・・の確立されたシステムには圧倒されます。教育学に触れた人から尊敬され続けているのもそういうcontinousな研究&改善ループに裏付けされている取り組みだからです。
多分両方に共通するのは共に前者が 発散型であり、 次の新しいアイディアに つながる可能性を生み出す可能性を有するのに対し、後者は 収束型であること。収束することで他の人にエッセンスを伝えられたり、その場でリアルに体験していなかった人も巻き込んでいくためにはポイントを絞ったこっちも重要だったりします。
両方それは大切なことなんだけれど今の社会にある「仕組み」の中で育って行くと大多数の人は自然と収束型の考え方に偏っていく傾向が強すぎる気がする・・・少なくても自分が育って来た環境ではそうだったと思います。近年、前者にも意識を向けることのの重要性を説く声が大きくなってきてはいるけれど、それは決して後者をないがしろにすることとは同じではないと思っています。今の社会で不足気味なのでより声を大きく主張することが重要なのですが、結局は両方が重要なのだと思うようになっています。
教育学でも 構築主義の重要性が注目されている一方で従来の行動主義や学びを伝える系の物事の教え方も教える内容によれば有効性はちゃんとあります。なので やっぱり重要なのはORではなくてANDなのだと感じることが多い今日このごろなのです。
面白いのは協力関係を結んでいるHarvardとMITでは全くカラーが異なっていて、前者がsummative assessmentプロセスを重視する傾向のある学校であるのに対し、後者はformative assessmentプロセスを重視する傾向が比較的強いということです。
だからこそ一緒に協力することが理想的な補完関係につながっているのだ、とこのテーマについて話していたTA(teaching assistant)の博士課程のお兄さんが教えてくれました。彼に「あなたはどっちに軸足がある人間だと思う?」と聞いたところ「summative assessment」と返ってきました。私はどっちだろう。
本当にユーザー&学習者のために効果的なものをつくりあげるにはformative assessmentが必要だし、その成功事例をより広い世界に広めるためにはsummative assessmentが必要。それが最近強く思うことです。
最後に、Playfulと真面目モードの話は以下のIDEO CEOのTim Brownの有名なTEDをぜひ。
11月14日追記
自分が尊敬するKuniが IDEOのTom & David Kelley兄弟著作の "Creative Confidence "の書評を書いています(11月8日付)。色々と参考になるものへのリンクも貼られている記事ですし、過去にもこのテーマに関する記事をこのブログで書いている自分でも新しい発見=「道筋をつけられた熟練(GUIDED MASTERY)」「右脳で描くというワークショップを提供する RBR」「創造力への恐怖心を取り除き、安定して発揮させやすくするための基本的なステップの裏にある『大事なマインドセット』リスト」や「ユーザーに共感するための『共感マップ』」はメモメモでした。すごく読みやすいですし、オススメです。
今回書きたいと思ったその「二つの考え方」は ①Formative assessmentモードとSummative assessmentモードと、 ② Playfulモードと真面目モード。
Formative assessmentって?
アセスメントには実は二種類ある、という事がちょっと分かりにくいので可視化してみた。(完全に自分の理解なので間違っているかもしれない、またformativeとsummativeが日本語でそれぞれ何なのかあまり分かっていないので英語のまま記載する)Formative and summative assessment 自分でつくりながら思うけれど「summative」は もうすこし「check」のところに書けばよかったかも |
Formative assessmentとはあるプロジェクトのプロトタイプ作成の段階で回される小さなPDCA (Plan, Do, Check, Action)の中でおきる仮説検証行程の話。プロトタイプver1C▷A▷プロトタイプver2のPというふうに小さなサイクルが続いて行く中でCから次の小さなサイクルのPまでがざっくりとしたFormativeassessmentにあたる部分。(図表の小さな円で色が塗られている部分)ポイントはあくまでも次のアクションの方向性を定めるような仮説検証が プロトタイプの段階で起きているということこと。
一方 Summative assessmentとは小さなPDCAの積み重ねで完成した最終形を世の中に送り出すとき(大きなグレーの円のD)その次にくるC以降のステップのこと(大きな円の黄色の二つ)。
仮説検証の役割も担うけれども、どちらかというとそこから出てくる示唆の使い道は 既に送り出された同プロジェクトの 改善のためでなく同じプロジェクトのリピート版の改善のためであったり、似た特性をもつ、別のプロジェクトのためであるものが多い。また、仮説検証という側面もある一方でその プロジェクトの価値を「評価する」という
側面のほうが強いものでもある気がする。
私の個人的な感覚だと一般的に「PDCAを回す」と言われている使い方は主に後者の話であることが多い。(新商品開発の時に事前にモニターテストをするのは「モニターからのインプットを元に開発商品に変更をする可能性があるならば」formative assessmentに該当するという理解)
このformative/summativeという二つの考え方は別に前述のビジネスに限った話じゃなくて、むしろ教育の世界で使われている用語だと理解する。そして先日の教授の話によるとformativeの考え方は教育学において過去数十年の間に台頭してきたものでまだまだ「若い」ものらしい。近年急速にその重要性や可能性が検討されている考え方でもある。
教育においてなぜformative assessmentが重要かという話になってきたかというと、学びが終わった最後の方で何を学んだかを評価するテスト(これはsummative assessment)の学習者に対する本当の意味での価値に限界があるから。何を学べましたかを評価して、その結果が次のその学習者の学びに活かされなかったら意味がない。テストで65点でした、って分かったからといってその結果が次のステップに活かされなかればそれはformativeな意味でのアセスではない。
カリキュラムの有効性をアセスする、という文脈だったら一学期の終わりに集まったアセス結果は次の学期の設計に活かせると理解できるので、ある意味formative assessmentになる。そういう違い、formativeとassessment。
学びの体験というものは生き物なので、全てが事前に計画できるものではないので、いかに学習要項とかきっちり決まっていて、何度も何度も提供されているレッスンプランだったとしても、その時その時の学習者のタイプや状況によって色々と微調整が必要とされるものです。調整しても、どんなに先生がベテランでも、学習者との関わり合いをformativeな意味でアセスし、提供する学びの場を調整しながら提供すべき、そういう考え方が背景にあります。Adaptive learningと言われていることはformative assessmentを含めている考え方だと思います。
Sesame Streetが教育の世界であそこまで有名なのは教育メディアにおいてformative assessmentもsummative assessment(世界で最もその学習効果の研究がされている教育メディアと言われています)の両輪が上手く回っているごく稀な事例だからです。
特にformative assessmentの時点で教育学のアカデミアとテレビ局の制作側の協業体制とユーザーとなる親&子供達の事前ヒアリング&プロトタイプのユーザーテスト、その分析・・の確立されたシステムには圧倒されます。教育学に触れた人から尊敬され続けているのもそういうcontinousな研究&改善ループに裏付けされている取り組みだからです。
で、最近感じること
で、本題に戻ります。(formative assessmentだけで別にエントリ-を書けば良かった・・)この最近考えることの多い「Formative assessmentモードとSummative assessmentモード」と「Playfulモード真面目モード」という二つのテーマ。多分両方に共通するのは共に前者が 発散型であり、 次の新しいアイディアに つながる可能性を生み出す可能性を有するのに対し、後者は 収束型であること。収束することで他の人にエッセンスを伝えられたり、その場でリアルに体験していなかった人も巻き込んでいくためにはポイントを絞ったこっちも重要だったりします。
両方それは大切なことなんだけれど今の社会にある「仕組み」の中で育って行くと大多数の人は自然と収束型の考え方に偏っていく傾向が強すぎる気がする・・・少なくても自分が育って来た環境ではそうだったと思います。近年、前者にも意識を向けることのの重要性を説く声が大きくなってきてはいるけれど、それは決して後者をないがしろにすることとは同じではないと思っています。今の社会で不足気味なのでより声を大きく主張することが重要なのですが、結局は両方が重要なのだと思うようになっています。
教育学でも 構築主義の重要性が注目されている一方で従来の行動主義や学びを伝える系の物事の教え方も教える内容によれば有効性はちゃんとあります。なので やっぱり重要なのはORではなくてANDなのだと感じることが多い今日このごろなのです。
面白いのは協力関係を結んでいるHarvardとMITでは全くカラーが異なっていて、前者がsummative assessmentプロセスを重視する傾向のある学校であるのに対し、後者はformative assessmentプロセスを重視する傾向が比較的強いということです。
だからこそ一緒に協力することが理想的な補完関係につながっているのだ、とこのテーマについて話していたTA(teaching assistant)の博士課程のお兄さんが教えてくれました。彼に「あなたはどっちに軸足がある人間だと思う?」と聞いたところ「summative assessment」と返ってきました。私はどっちだろう。
本当にユーザー&学習者のために効果的なものをつくりあげるにはformative assessmentが必要だし、その成功事例をより広い世界に広めるためにはsummative assessmentが必要。それが最近強く思うことです。
最後に、Playfulと真面目モードの話は以下のIDEO CEOのTim Brownの有名なTEDをぜひ。
11月14日追記
自分が尊敬するKuniが IDEOのTom & David Kelley兄弟著作の "Creative Confidence "の書評を書いています(11月8日付)。色々と参考になるものへのリンクも貼られている記事ですし、過去にもこのテーマに関する記事をこのブログで書いている自分でも新しい発見=「道筋をつけられた熟練(GUIDED MASTERY)」「右脳で描くというワークショップを提供する RBR」「創造力への恐怖心を取り除き、安定して発揮させやすくするための基本的なステップの裏にある『大事なマインドセット』リスト」や「ユーザーに共感するための『共感マップ』」はメモメモでした。すごく読みやすいですし、オススメです。