Tomoko Matsukawa 松川倫子

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物事の背景、別の意見を想像すること

これ、Acumenの研修の事前課題の一つで共有されました。
有名だったのかもしれませんが、今回初めて知りました。

これ、必見です。



これを見た時に自分のFacebookに投稿したメッセージ↓

「One of the homework for tomorrow. Liked this a lot. 
 これ、ものすごい重要だと思う。
 TEDという仕組みが有名になってきているのは
 良いことだと思うけれども
 (自分も本を読む前に著書のTEDがあるか
  確認することが最近増えています)

 あのように短時間+インパクト重視のメッセージを受けることに
 あまりにも慣れ過ぎてしまうと(YouTubeも同じ)
 こういうリスクを忘れてしまう人も出てくるのではないかなぁと思うから」

以前TEDの問題点について書いていた記事を
過去のエントリーでさらっと引用しましたが
「世界の経営学者はいま何を考えているのか」を読んで
(教育学部卒業生としての感想) 」の「名言と科学は異なる」の箇所)
結構難しいトピックです。

なぜ、このTEDを見たか、というと、
このTEDに合わせ、前回のエントリー
「人のために何かをしたい」という気持ちが『悪』につながるとき
で紹介した記事を読み、
当日メンバーで集ってKONY2012のビデオについて
ディスカッションをしたのです。

このKONY2012のビデオって日本でどのくらい広まったのだろう?
Mashableの 「The 10 Most Viral YouTube Videos of 2012」
で1番になっていました、 このビデオ
見た事のない人は一旦見てから先を読んでみてもらいたいのですが。

実は、これものすごい批判され、
大変なことになったのです。
(ここに出ている制作者の男性パパは
その後頭がおかしくなってしまって、
全裸で道路を走っていたのが目撃されていたり・・・)

でそんなことになったKONY2012の問題はなんだったのだろう。
効果的にストーリーを描き出し、多くの人を動かした、あのビデオ。
インパクトの大きいビデオは(TEDもそうだけれども)
人の心を動かし、行動に突き動かす可能性を持っている。
それまでまったく知らなかった世界の情報がいきなりグサリと
心に刺さり、見た人の心のドライブは反射的にONになる。

実際私も初めてKONY2012を見た時涙ぐんでしまった。
一緒にいた友達に、「ねーこれ見た?ショックだね・・・」
という感想をもらし、彼に共感を求めてみた。
でも彼の最初の一言は「あ〜それなんか偽物らしいよ」

「え?え?」偽物!?
最初はその言葉を信じなかった頑固者の私。
こんなかわいそうな状況を無視するなんて、とか
少しカチンとも感じたり。

でも、偽物なのか、そうなのかしら、と
判断軸を持たない私は自分の意見が持てないまま。
いつしかこの「話題になっていて一瞬心も動かされたビデオ」
のことは頭から消えて行った。(それも自分、どうなのか、、
と今は思うけれど)

そして、この研修で久々にKONY2012と向き合うことに。
今回はもう一つのインプットとして
KONY2012を見たウガンダの人の反応に触れることに。(6分と短め)



・・で、これらのインプットがあった上で
実際の研修の中で仲間同士でディスカッション。
具体的な問いは覚えていないけれども、
KONY2012だってきっと善意から始まったプロジェクトで
あったに違いない、でもどこが間違いだったのか、情報は
どこまで正しかったのか、事実に基づいた話だったはずなのに
どこでメッセージがゆがめられ、また受け取る側が流されて
しまった理由はどこにあるか、このようなメディアの消費者として
我々はどうするべきか、などそんなことを話した気がする。

自分は実際KONY2012メッセージに疑いもなく
洗脳されかけていた人間だったので、今回のディスカッションは
良い振り返り&自分の思考の浅さを反省する良い機会となった。

恥ずかしいことだけれども、こういうこと実はよくある。
英語でいうと私は「gullible(だまされやすい)」。
きちんと頭で考えて情報を消化する前に反応してしまうこと。
結構よくある。

幸運なのは身近にいる人が(父親を筆頭に)私と正反対の人が多く、
私が反射的にONになった状態に
(本人達はそう思っていないけれども)
ぼそっと短く「冷水」を投げてくる。
本人達は気付いていないけれどそういう言葉を受け取る度に
根拠のない熱を自分の中に抱え
騒ぎ始めようとしていた自分を私は一人で内心恥じてたりする。

でも、いつも彼らが周りでそういう鎮静剤をまき散らしてくれる
わけでもないからまだまだ「gullible」でおっちょこちょいな
自分になってる時も結構ある。

最近感じるのは反射的にとある意見に影響されてしまうこと自体は
おそらくコントロールはできないのかもしれなくて。

むしろ、効果的にメッセージを伝えようとデザインされた
ストーリーを放つ側もやっぱり色々な意味ですごいと思うし、
きっとそういうインパクトを持ち合わせたメッセージ発信でないと
多くの人を何らかの目的に合わせて動かすことだって
難しいのだと思う。なのでメッセージが氾濫している今は
こういうことも結構重要であるのは間違いない。

・・・ということで強い何かに自分が晒される、そして
心がONになる機会ってきっとこれからもたくさんあるはずで。

そういう世界で自分の心の温度コントロールをしっかり
できるような人間になるために今考えられるのは
「受け取ったメッセージ/ストーリーの背景や、
その逆側、または別の視点からの意見を想像し、
自分で自分の心のヒートアップを一旦冷静に見ることが
大切なのではないかな」ということくらい。
・・そんなことを考えさせられた研修だったのです。
(ということでそれがタイトル)

心の温度コントロール。
意識したいけれど、熱しにくいという性格の
自分でもあるのでこのバランスも難しいです。