Tomoko Matsukawa 松川倫子

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選択することから創ることへ

今日は恋愛観・結婚観について。

きっかけはこちらのエントリー「離婚したら、幸せになれると思っているあなたへ

子どもがいる世界は今の自分にとって全くの未知なる世界ではありますが、パートナーと関係を構築するということについては一応色々考えてきた自分。そんな自分の感想はこんな感じでした↓

(記事に書いてあることもそうだし)あとは、二人が共に「二人の関係を一緒に育てて行こう」という意識でいることも大事そう。自分が受け身でいたり、すでに出来上がっている何かを選ぶってスタンスでい続ける限り、幸せを探す旅は続きそう。

こういうのを実感するようになったのはここ二年弱の間という最近のことなのですが、今日はそれについてちょっと書いてみます。

「選択する」ことに慣れて行った時期

2007年から2011年の間、振り返ると私は自分にとっての恋愛の「あるべき姿」を探してました。

色々な出会いや可能性にとりあえずオープンに、既存友達関係からのconversionや新しい出会いも含め、どの人が「the one」なのかな、という事を頭の隅っこに置きながら、当時妹に「よくそんなにたくさんの人と会おうと思うよね」と呆れられるような日々を送っていました。

その結果、恋愛関係にならなくても、楽しい仲間が増えました。時間を共にする回数を重ねることで、今となってはかけがえのない関係性となった友人に出会うこともできました。ある意味楽しかった、あの自由な日々。でもその探索期間中に厄介な副産物が生まれたのも事実です。

その厄介なものが・・・「選択する」という行為への慣れでした。

私は決して美人な訳でも、スタイルがいい訳でもないので「何様だ」と言われるのを承知で書いてますが、当時の私は確実に「選ぶモード」にいました。恋愛自由市場という大きな海において、中長期一緒に人生を帆走するパートナーは誰かな、といったように。

自分の中での「あるべき像」が100に位置している「自分オリジナルの男性評価軸」みたいなものがあって、出会う人がその軸においてどこらへんだろう、そういったスタンスで相手との時間を過ごしながら頭の中で判断していたような気がするのです。

「創る」の大切さを感じる今

そんな時期を過ごした自分でしたが、ようやく最近、人生という、場合によって半世紀以上の時間を一緒に過ごす相手を決める作業って「選ぶ」だけじゃなくて「創る」スタンスも大切なんだな、って思うようになりました。

「創る」はゼロが出発点にある作業。「選択する」はある程度の完成版が存在することを期待しながら行う作業。(なので、その後期待値の下方修正が不可避である場合も多い)

「創る」の場合、それに取り組もう、という特有のマインドセットや中長期に渡るコミットメントが必要となってきます。

個として確立してきた自分のスタイルや自分が目指す姿、それに向けた道のりがあって、それに慣れ親しんできていたとしても、それを守るだけじゃなく、時に相手との関係を「創る」ことを優先しなくてはいけないことがあるという現実。たまに自分の慣れ親しんだリズムを「pause and reflect」する時も長期を見据えた場合必要かもしれない、ということの受け入れ。

「妥協」という単語はあまり好きじゃないし(私は我慢は嫌)常に関係を「創る」ことばかりを意識する必要はないと思うのですが(だって疲れる)「あっ、ここで頑張らないとせっかく創ってきたの壊れるな」という状況になったら他を投げ出してでも補強・再構築に取り組むんだという意志を持つというイメージです。

きっと、そういうのが大切なんじゃないかなぁ、と最近思うようになってきているという話。

そっちのほうが結局楽だったりする

大切ってだけじゃなく、こっちの方が精神的に健全だかも、というのがもう一つの発見。

「選択する」モードだとどうしても相手の「足らざる」に意識を向けやすかったり、「隣の芝生は〜」を気にしてしまったり。より良い人が(他に)いるかも、という事が頭をよぎったり。でもその時の思考の矛先って自分じゃなくて相手/(まだ見ぬ相手)に向いてる場合が多いですね。

どうしてこうしてくれないの。

どうして分かってくれないの。

どうしてこういう状態なの。

・・・モヤモヤ

でも「他人を変えるより自分の考え方を変えたほうが早い」(これ近年の自分のマントラ)− 相手に色々期待する前に自分が出来る事、特に自分の頭の中に対して出来る事は何か。そっちに取り組んだほうが実は気が楽になるのが早かったりする、そう思うようになりました。

「あなたを変えてやろう」がガンガン伝わってくる相手とそうでない相手では私達だって感じ方が違うはず。結果として相手が変わるようなことがあったとしても、ここの違い、大きいかな、と思っています。

上記に引用した記事に対する元同僚の先輩女性がの以下の感想も似たメッセージだと思いました。

他人との暮らしで思うのは、やっぱり根本的なところはそう変わらない、ということ。そこを認めた上で、気づいた方がお互いよりハッピーな方向へ、お互いとも誘導するしかないかなーと。

気付いた人が先に「創る」を自ら先に引っ張ってく。相手も同じような関係を構築したいと思っていたらきっと一緒にその活動に参加してくれるはずだし、結局楽だし、ハッピーになりやすい。そう感じるようになりました。(相手がそういう人じゃない人の場合、見極めをさっさとしたほうがいいとも思っています)

ま、これで今後またゼロから「選択する」が必要な状況になったとしても、なるべく早い段階で「この人と『創れる』かも」と思った人に狙いを定めて(?)「創る」モードに入ろう、そう思っています。

時間は有限

そういう考え方を自分が持つようになったことと無関係ではないのが「明日自分や相手が死んじゃうかもしれないし、限られた時間をどう、何に使うか。誰と過ごすか」という問いの存在。

大好きだった中高時代の後輩も、愛犬も、自分の幼少期に多大な影響を与えてくれた祖父母も。彼らが自分の人生から一人一人と去って行った時に強烈に感じることのあった、この「限られた時間」という考え方。自分の時間はもちろんだけれど、他人と関わる時間はそれ以上にもっと限られているという現実。

「結婚も、夢も、人生も、全部タイムリミットがある」と言い切った為末大さんの <限界を知るから人は考える>エントリ- もとても共感する内容でした。自分の描く人生のストーリー、限られた時間。どうやって「創っていく」か。

そして、これは恋愛に関わらず、就職活動や転職活動にも当てはまるものが多いと思うことも増えてきました。就職/転職相談受ける回数が増えているからかもしれませんが。

「どの組織を選ぶか」というよりも、ある程度「これかも」と思った場所でとりあえず一生懸命やってみる。そこでどう機会/出会い/発見に向き合うかと。それが一番その人のハッピーに近づく、気が楽になるルートなのではないかと。

私の尊敬する大好きな友人がFacebookでシェアしてくれていたこちらの記事「今日行動しない人は、明日もなにもしないです」(オススメは「自分だけの人生を送れるか」以下のところ)も良い記事でした。

転職や留学を志向する人が最近は自分の周りに多いような気がしますが、そういうルートを「選択する」ことをしなくても、「行動に移す」って色々できる時代になったと感じています。ベンチャ-にいても、大企業にいても、学校にいても、NPOに居ても・・・自分の人生のストーリーを「創る」ことは色々なところでできるはず。(「サイドプロジェクトが威力をもつ時代:すぐに何かを始めよう!」とかも)

「選ぶ」から「創る」へ。

色々なシーンで自分の頭に浮かんでくる最近の自分のテーマです。

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自分が食べたいものを選ぶより自炊した方がいいと最近特にそう感じ、週の半分以上は手作りお弁当です。


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