Tomoko Matsukawa 松川倫子

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「仕事」と「休息」と

今日、同僚にとある記事を紹介されました。記事のテーマは「仕事」と「休息」の関係性の進化。その記事を自分で読んでいなかったので、帰宅後読んでみたところなかなか興味深い記事(かつ、一度ではすんなりと意味が理解できなかった記事)だったので、ブログで整理してみることにしました。 「Nice work if you can get out - Why the rich now have less leisure than the poor」(2014年4月19日号The Economist)

記事の内容

意訳です、正確には元記事をご覧下さい
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・20世紀のはじめ、上流階級にいる人間に「週末に休む」という考え方はなかった。基本的に毎日が休息日であったようなものだったから。一方で、当時の貧困層は週64時間労働の人が平均的であったという調査結果もあるくらい。労働時間の長さと社会的地位には半比例の関係があった。(ちなみに週●時間という計算に私は慣れていないので、一応計算してみると朝9時から18時まで働いて昼休みが1時間ある職場だったら、週5日で40時間、週7日働いたら56時間)

しかし過去1世紀の間に、PoorよりRichのほうが働く時間が長くなった(記事では、より高学歴な人間を「Rich」と表現している)
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・そのような流れになった背景の説明要因の一つは「Substitution effect(代替効果)」=高給取りであればあるほど、仕事から離れることのコストが高くなる=休息を取ることのコストが高くなる(☆これは、有給制度がある人は違うような気がするけれど)

・もう一つは「Winner-takes-all」な社会の風潮=イノベーションを起こし、競合から抜きでた存在でいることが大きなリターンを生み出すという傾向、これは企業という単位でなくとも優秀な人材に対しても見られている流れだという。(☆「仕事ができる人には仕事が集まる(そして、その人の経験値/労働市場での価値はどんどんと高まる)」ということだと理解)

・面白いのは一つ目の「Substitution effect」はある程度の収入水準を超えた人間には当てはまらない(=ある程度収入がある人は、仕事から離れてコストを払って休むことを厭わない)という考えが経済学者の間で主流だったらしいのだけれど、近年は、これが当てはまらない例も増えて来ているらしいとThe Economoistが言っている点
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・つまり色々と要因はあるにせよ、 従来Richと分類されるような人が「休息」を取らなくなって来たという事実。ちなみに1899年時点では「休息/レジャー」が「badge of honour(名誉の証)」とされ、それを享受していた彼らはその時間に知的刺激のある、創造的な活動(執筆活動、慈善活動、ディベート)に勤しんでいた。

・ところが、知識社会(knowledge-intensive and intellectualな社会)になってきて、1899年時点にRichが他の人に任せていたような仕事がどんどんと少なくなってきて、仕事の中身が「知的刺激のある、創造的な活動」になってきた。(最近のオクスフォード大学のレポートによる)つまり、彼らのような社会的地位にいた層が昔「休息/レジャー」の時間にしていたことがどんどんと「仕事」に入り込んで来ている、と記事は言う。 「Work has come to offer the sort of pleasures that rich people used to seek in their time off」。

・裏を返すと、「休息」の時間がたくさんありすぎる人間は「名誉」ではなく「あまり使えない人材/失業中」という雰囲気すら醸し出されてしまう可能性がある時代かもしれない、とまで言おうとしているこの記事はなかなか大胆で。

・記事では他にもいくつかの最近の研究結果を紹介し(例えば、知的刺激に満ちた仕事に携わっている人は家での生活より仕事を楽しむ傾向があるとか(☆個人的にはORじゃなくてANDだと思うけれど)、収入の低い家庭のほうが高い家庭より「休息時間に『受け身』で(テレビを見るとか)」過ごしている確率が高いとか)、最後に従来Poorと分類されていたような人間達からみて「休息/レジャー」の過ごし方がどう変わったか(なぜその時間が働いている時間に対して増えているか)について書かれている。


今の私にとっての「休息」ってどんなもの?

なかなか読む人によって物議を醸しそうな内容のこの記事。この記事の内容へのツッコミはともかく、これを紹介してくれた私の同僚が言っていたことが興味深かったのですが:

「『仕事』がより『知的刺激にあふれた、創造的な活動』になってきた人達(私達)にとっての『休息/レジャー』の時間の過ごし方ってどういうものになってきているのだと思う?」

・・・確かに何だろう。

そういえば、たまに、「週末も働かなくてはいけないの?」と聞かれることがあります。まるで、週末に仕事の事を考えなくてはいけないの大変だね(可哀想だね)というばかりに。

そういう問いをもらう度に一瞬答えにつまります。質問をしてくれている方の間で「仕事」と「休息」に対する捉え方がちょっとだけ違うのかな、と思うから。

まず「仕事」

結果ありきの組織では、自分のやらなきゃいけないことのために、自分が目指す質のものをつくり出すために、自分がやりたいと思うことのために、必要であれば朝だって夜だって、週末だって祝日だって仕事をするときは仕事をします。

例えば前夜に23時過ぎまでスカイプがあったら、次の日はミーティングが入っていない限り、自由に出社します。18時にディナーの予定があったら、それに行ってから帰宅後22時半くらいに会社のメールをチェック/対応してから寝ます。今日のその同僚の彼女だって、金曜はたまに「自宅勤務デー」を月に二回くらい実施していますが、でも結果を出しているから誰も気にしない。もちろんコラボレーションはたくさんあるので、そのときは出社している必要がありますが。

そういう形の「仕事」に対する「休息」って「週末」とは少し違う・・・。時間的な軸で区切るのではなく、認知的な面で区切られるようなものだと考えています。

そもそも「創造的な活動」ってキリがないもの。ユーザー・顧客、潜在顧客(マーケティング活動)、投資家、潜在的な寄付者、自分達の活動の評価者達・・・彼らのニーズに応えるためにやれることなんて無限にあり・・。いかに楽しいと思っている仕事でも、頭に休憩が必要になります。

週末に読書をするのでも、友人と会うのでも、ミートアップにいくのでも、新しい人を紹介されるのでも・・・仕事にどう活かせるか、仕事内容とどうつながるのかなどを考えてしまうことが少なくありません。自分の周りに居る人の多くは自分の人生(ライフ)と仕事(ワーク)の線引きは曖昧です。

そういう人間は、時折、認知的に全部仕事につながりそうなことをシャットアウトする時間/場所が必要になると考えます。そして、それは「土曜/日曜/祝日」という枠組みの中で生まれるとは限らなく。

例えば子どもがいれば、子どもと遊ぶ時間がそういう「休息」になるのかもしれません。私の場合は 「頭じゃなくて五感を使う活動」または「考えをシャットアウトするくらい何らかの活動に没頭する」ことによって自分の「仕事モード」を完全にオフにします。

前者の例としては音楽鑑賞、携帯を持たないで出かける天気のいい日の散歩、Egaku Workshopのような創作活動、美術館めぐり、本能のままに商品を眺める買い物、など。後者の例は睡眠、運動、映画鑑賞、フィクションものの読書、部屋の掃除など。まとまった時間を取って言葉の通じない異国にいって、ふらりとその環境を楽しむというのも後者の贅沢版だと思っています。

どういう仕事をしているかによって「休息」に対する考え方やその中身って人それぞれかも。実際私も2005年からの事を思い出すと、色々と考え方が変化してきています。・・そんなことをこの記事から考えさせられました。

最近はちょっとまとまった時間をとって北欧かインドかケニアかカンボジアに行ってみたいとぼんやり考えています。



おまけ:最近日本では「残業手当ゼロ化」についての議論が台頭しているようですね。あまり詳しくは追っていませんが、冷泉さんの 「日本経済の競争力回復のために『労働時間規制』するべき」が印象的でした。仕事への取り組み方にせよ、休息の織り交ぜ方にせよ、家族との時間にせよ・・持続性のある、個人それぞれの事情/嗜好/人生ステージにあった形が模索できるような社会になるといいなと思います。


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