Tomoko Matsukawa 松川倫子

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流れが変わるときに生まれるストーリー

流れが変わるとき

この時期、大学生、大学院生は夏休み。

アメリカの学校の多くの夏休みは5月の終わりから8月末まで。多くの人はそのまとまった時間の間に色々な活動に勤しみます。インターン、ボランティア、フェローシップ、旅行、プロジェクト・・・。

Acumenにも全部で10人以上の(皆大学院生ですが)サマーアソシエイトの方々がやってみました。ニューヨークオフィスに限らず、アクラ(ガーナ)やラホア(パキスタン)などといったオフィスに行ったりする人達です。それぞれ、色々なストーリーを持ってやってきた人達。30人ちょっとのオフィスなのでニューヨークに5人以上の新しい人が加わっただけで一気に賑やかに。

加えて、9月の新学期に向けて、大学院入学のために移動する人がいたり、社内異動があったり、新しく採用された人達が入って来たり。それぞれの「節目」。彼らの今までのストーリー、これからのストーリー、たくさんのストーリーが目の前を飛び交っています。

そして、この時期は日本から海外留学していた人達も卒業シーズンを経て次のステップに足を踏み出しているタイミング。ニューヨークから、シカゴから、ボストンから、ロンドンから・・・日本に帰国して新しい職場に飛び立っていった人達。これから起業を予定している友人達。新規事業の立ち上げにエネルギーを投入している人達。

だから色々と自分の周りが慌ただしい。彼らを取り巻いているそれぞれの「潮の流れ」が変わり始めている、みたいな。


自分にとっての変化のポイント

自分は久々に落ち着いている。周囲に思われるほどほど忙しい日々を送っているわけでもないと思う。だから、相手のストーリーに耳を傾けることのほうが最近は多い。でも、そういうとき、質問もされる。

「what is your story?」

で、ちょっと振り返ってみた。
全てがなんだかへんてこなストーリーばかり。


最初の職場であった調査部から営業部へ異動したとき(2007):同期のH君がふらりと私の席の横にやってきたことがそもそもきっかけだった。なんだかいつも「ヘヘへ」と笑っているイメージが今でもあるその彼が私にコソっと話しかける。「なんか、営業チームが英語が出来る調査部または投資銀行部の人探しているみたいだよ」ー へー、そうなのかしら?と確認のつもりで営業部のチームにコンタクトしたら、自分の想定外の早さで色々なことが決まってしまい、自分でも「いいのか?」と感じる部分を少しだけ残しつつの異動の決定。H君のコソリ発言から実際の異動まで1ヶ月もなかったような気がする。

自分で引き金を引いたとしても、流れの勢いが増して手に負えなくなったら、流れに身を任せてしまおうと学んだとき。

証券会社を退職したとき(2010):マーケットの急変動のせいで(と自分は思っている)その数年前に一度辞め損なった自分。結局金融人生5年目も終わりに近づき、大型増資案件が続きヘロヘロになっていた中。たまたま応募してみたP&Gのブランドマネージャーのポジション(in神戸)の面接が決まって、辞める意志を固める。「次の案件が終わったら上司に言おう」と決めたタイミング通りに伝え、翌月末退職に向けて準備。そしたらあっけなくP&Gは一次面接敗退、笑。「え?次が決まってないならなぜ辞めるの?」モードのチーム。自分も「確かに・・」と思いつつも、なんとなく自分の心は辞めるときだと言っていた。ということで、次の予定なしの退職。直後にロレアルも面接まで行ったけれど次につながらなかったな。あのときあの業界に行っていたら・・・どんな人生になっていたのだろう。

新しいものを掴むには何かを手放す必要があると学んだとき。また、どれだけ自分が「これをやりたいのだ」と思っても、それはit is not meant to beということがあると学んだとき。

グロービスに入社を決めたとき(2010):・・・ということでP&Gもロレアルもだめで、「人に価値を直接届ける『マーケティング』という仕事がしたい」という非常にぼんやりとした気持ちで転職活動することが、社会人5年目の、しかも金融onlyの人間にとってどれだけ甘い事かを思い知った頃、ディスコさんにお世話になる。「こんな私はどういうことができるのでしょう」という私の目の前に出されたのは戦略系コンサルティング会社のリスト。そのうちの一社の面接進行中にディスコのAさんが「グロービスという会社がありましてね」私「え?なんですか?その会社は(一回も聞いた事ないけど)」(以下省略)

選択肢というものが自分には全部見えているという大きな勘違いをしていたということを学んだとき。世の中に存在する仕事は上場企業内/東証セクター分類内+金融/コンサルのみではない。そんなことすら分かってなかった当時の自分が笑える。

Acumenの契約社員の仕事をもらったとき(2013):卒業間近に困っていた。応募したGensler社の教育プロジェクトにフォーカスしたポジションはほとんど進展ないし、Sesame Workshopの人からも全然返事がこない。サンフランシスコでのお仕事from日本の企業という誘惑にフラフラとしながらも、どこかで何かが自分を止めていた。だから夏以降やることが何もなかった。そうだ、ボランティアで関わっていたAcumenのチャプターイベントでAcumenがオンラインコースをやり始めるって言ってた。ダメもとでアプローチしよう。「教育学でちょっと勉強したからオンラインコースのお手伝いさせてほしい」・・・なんと、たまたま二人チームだったそのチームの一人が産休直前と。ミラクル。産休中にもう一人をサポートするという立場で5週間のお仕事をもらう。万歳。

仕事は必ずしもポスティングされているものばかりではない。何事も聞いてみるものだとという学び。

Quipperに出会ったとき・働くことになったとき(2013):ボストンにいるときにQuipperのH君からいきなりメールが来る。「ブログ読んでいます、ボストン行きます、会えますか?」もっと丁寧でかつ英語だった気がするけれど、そんなメッセージだったと思う。調べたらグロービスの投資先らしい。学生は時間がいっぱいあるし「let's meet!」。数時間ディナーして、教育の話をして、面白かった。それから数ヶ月、ロンドンに戻った彼とは疎遠に。卒業後の日本一時帰国のタイミングが近づいてくる。するとその彼からメッセージが入る「東京オフィスが出来たんですよ!ぜひ遊びにいってみてください!」私「誰も知っている人がいなくて理由もないのに、遊びには行けんよ・・」

ところが・・日本帰国中、エコノミストを読む会仲間だったIさんを含むメンバーとディナー中。Iさん「松川さんに紹介したい人がいます、Quipperという会社で働いていてる人なんです」私「え?」

ということでQuipperの東京オフィスにいたWさんとランチ。Iさんが性別を教えてくれていなかったからお店に入ってからもしばらく男性をきょろきょろ探していた間抜けな私。そのWさん、次の週?に何やら社長のMasaさんが来日しているからお茶をしようと。3人でお茶をしたのはアメリカに帰国する前日。成田に向かう前にはMasaさんから「ちょっとQuipper手伝ってみない?」と。ベンチャ-早し。Wさんと会う前に登壇したグロービスの一次帰国報告会では「9月は仕事あるんですけれど、10月以降はまだ決まってなくて、アハ」みたいなことを言っていたのだから。たった二週間弱の出来事。日本の暑さにやられて、従来の慎重さ?が自分から失われていたとしか思えない。

このときからの学びは「縁」や「直感」を元に「今までの自分だったらしない決断を下す」というのはドキドキするけれどワクワクが大きいというもの。Quipperに関われる機会がもらえて良かったと本当に思う。





変化のポイントは自分にいつ、どのように訪れるかは分からない。自分が引き金をひくこともあるし、最初の一歩を押し出すときもある。でもそうでない時もある。

上のパターンを見ていると大きな流れの変化は3年おきに起きている?次は2016年かも?