Tomoko Matsukawa 松川倫子

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Global Education 後半 - 大切な理由

前に書いた「Educating Global Citizens」イベント感想の続きです。①ではGlobal Competencyの定義や、国連が2012年に立ち上げた「Global Education First Initiative」に「Foster global citizenship」を3つの目標の一つに掲げたことの意味といったことを書きました。

今回は「何故(Global Educationが)今、必要なのか」「疎かにするとどういうことがあるのか」的なことを書こうと思います。あの日、登壇者&参加者から聞いた「Global Educationが大切である」理由、大きく分けてざっくり3タイプあったように思います。「英語」といった表層的なスキルよりも、もっと重要なメッセージが含まれているのがGlobal (Citizen) Educationだと思うようになりました。

その3タイプに分けた「大切な理由」

一つ目は「〜しないと●●といった事が起きる」という「fear」や「危機感」に訴えかけるもの。残念ながらこの戦略は、効かない人には全く効かない手法ですが、改めて「多くの人がなんとなくそうだと思っていること」を再強調してくれるパターンです。そして、もう一つは「〜しないと思った以上に自分に近いところへ影響が出る」という、意外性に訴えかけ、聞き手に当事者意識を今まで以上に持ってもらうパターン。そして、三つ目は「自分」または自分にとって大切な人達(家族・親戚、友人)もこの考え方を持てば良いことが多いかもしれないという、聞き手の利益に訴えかけるもの。一つ目と似ているメッセージなのですが、もう少しポジティブな側面を前に出しているパターン。

具体的にあの日に共有されていた話を整理します。


まず一つ目の「このままではヤバイでしょう」パターン。

前回書いたのですが、Global Competencyとして定義されていた要素には「自己理解」と「周囲と協働できること」がありました。これが合わさってできるものの一つが「他人の状況に自分が置かれいたら、と相手の気持ちを考える・想像する力」なのですが、これは、何気なく過ごす日々の中で、出会った自分と異なる境遇にある人との接点を種に、訓練を重ねることで身に付くものではないかと考えられています(参考:「 FIgure It Outする力」というエントリ-)。

教授は、一般的に高学歴と言われているクラスターの人達が「やらかした」ということで話題になった事件/事象を用いて、そういう「訓練」を経験しないまま大人になった人がどういうことをしているかという懸念を紹介していました。

  • Dartmouth College(アイビーリーグ校)の特定の人種を差別/蔑視することを連想させるようなテーマパーティー事件(2013年8月のBoston Globe記事) 
  • ハーバード大の学生が企画したあるテーマパーティーが特定の宗教のグループ(このケースはカソリック信者)に対する配慮が足りないと批判された事件(2014年5月のWashington Post記事) 
  • Whartonが6500人の教授を対象に実施した研究結果が「女性またはマイノリティ(黒人やラテンアメリカ人)学生が教授に質問した場合の質問メールへの返答率/返答スピードはその他の学生の場合(i.e.白人男性学生)に比べて低い/遅い」という衝撃的なものであったという話(2014年5月の記事) 

一般的に学力はあると思われている人達が「他人の気持ちになって物事を考える」というスキルを身につけないまま大人になってしまうのは何故でしょう。それは、今の世の中ではそれを測る仕組みがないことにも起因している、と教授はいいました。

様々な人やアイディアが国境や文化を超えたところで、繋がっていく世界において、Global Competencyに特化した教育は、評価の仕組みが存在するかの有無に関わらず必要である、と。それが欠けている人達は協働関係を他者と築くこと、共に複雑な問題に対する解決策を見出すこと、そういう力を発揮することが難しくなっていくでしょう、と。(結果として、そういうことが行われにくい社会になっていく)

教授はHans Roslingの有名なTEDトーク(参考:「 "Japan Shrinks"人口の話 」エントリ-)を紹介しながら正しいデータを使って、今世の中で起きていることを多くの人に客観的に伝えることの大切さを解いていました。

例えばアメリカ国民(成人)のたった5%しかMDG(Millenium Development Goals)を知らないという衝撃的なデータなど。(調査対象であった47カ国で最下位、日本は11%、ブラジル、インドは2割以上、ドイツや3割ほど、ベトナムでは4割。私が見た表で唯一の日本と米国の間に位置していたのは中国6%。韓国は21%)(出所元:Reimers教授のレポート「 Education for Improvement - Citizenship in the Global Public Sphere」(Harvard International Review - Summer 2013」に掲載されていた図表(データ元はWorld Values Survey Database, 2013)より)


二つ目の「実は他人事じゃないんですよ」パターン。

テクノロジー/ネットワークが今のような形になる以前の世界では、「多数決」といった仕組みや「世間一般」という固まりの存在が、ある程度、物事や意思決定の方向性を定めるために力を発揮していた、と教授は言いました。

ところが、今は、ごく少数の、「尖った」人達がわずかな資源で大きなことを成し遂げることが可能な時代になっています。社会に良い事であっても悪い事であっても、少ないリソース(人的/金銭的)でたくさんのことが出来るようになっています。(少数人数で起業したベンチャ-が何十億ドルも動かすビジネスに成長したり、少数人数のテロ組織が国全体の未来を左右することになったり)

少数の「尖った」人達の思想や行動が大多数の「中立派」「穏健派」に大きな影響を与えることができるようにもなってきています。具体的には大多数の人が賛同している決定事項の実施スピードを遅くすることができていたり、多くの人を錯乱させるような情報の流布を通じて「浮動票」的な層へ多大な影響を与えることができるようになっています。

つまり、昔は「自分とは違う、他者への思いやりに欠ける人達」が世間の一部にいたとしても、そこまで自分に飛び火するような大きな影響が出にくかった、または影響が出るまでに少し時間がかかっていた。一方、今日は一部のそういう人達の発言や行動が思いがけないほど広い範囲にスピーディーに影響を及ぼすようになって来ている・・・。自分達のコミュニティ、国、隣国との関係・・。

昔は「自分とは違う一部の変わった人達」として避けていた人たちが自分の生活圏に見える形で影響を及ぼす可能性が今はある。多様な価値観の存在はもちろん重要な一方で「自分とは異なる考え方の人達を拒絶するような人達」とは持続可能な社会を共に創っていくのは難しい。一人でも多くの人が幸せに、平和に過ごせるような社会づくりには、なるべく早いうちから、Global Competencyといったものを養成する場が必要である。二つ目のメッセージはこんなかんじだったように記憶しています。

三つ目の「より正しい意思決定ができますよ」パターン。

二つ目ほど中長期スパンではなく、一つ目ほど後ろ向きでない理由がこの三つ目のパターン。簡単に言うとより「informed decision(情報をしっかり吟味した上での意思決定)」ができますよ、という話。

Reimers教授の提示していた事例は

・貧困問題解決に取り組みたい、とキャリアに関する意思決定を下す学生
・過去15年に貧困がどのくらい削減されているかという事実を知らない若者とそれを知っている若者
・今日多種多様な貧困解決策が存在することを知っている若者と知らない若者

「貧困問題解決に関わる仕事がしたい」という手段が優先されるならともかく、「貧困問題を解決したい」という目的が第一にあるならば、情報の集め方/意思決定へのプロセスは異なるはず。時間/労力という自己資本を投資するキャリア先を決めるとき、どんな情報をつかんでいるかで、その自己資本がどう使われるかが左右されます。

ちょっと日本のケースに話を移して考えてみると、いつも私が不思議に思っていた、学生の人気ランキング就職先リスト。一体いつ、誰にインタビューして統計をとっているのか分からないですが、例えば投資銀行だって、2004年前後に入社してあの業界を体験している人と、2008年前後に入社した人達では、感じていることだって体験だって違うはず。私が入ったときに株価がうなぎ上りで業界的にも「絶対的な競争優位がある」的に言われていた某製造メーカーも、消費者側の変化/海外プレーヤーを巻きこんだ業界再編であっという間に5年ちょっとの間に置かれている状況がガラッと変わりました。どっかの誰かが1年以上も前に集めた(サンプルバイアスもある)データを基に自分にとって大切な人生の意思決定を下している人はいないと思いますが、ここで言いたいことは、日本の外で起きていることも、少なからず日本国内の自分に影響を及ぼすことがあって、しかもそのスピードは早まっているのではないかなということ。

一度も海外に出る予定がない日本の大部分の人でも、日本国内での自分の人生の描き方にも、Global perspectiveは必要なのではないかな、と思います。海外から日本に来る人たちは何を知っていて、何を感じているのか。日本人として海外に旅行に行った時に、相手はどういうことを思っているか、(おのぼりさん的オーラが強い)日本人観光客として海外で気をつけておくべきこと、そういうことを知って身を守るということもGlobal citizen educationの一つに含まれると思います。

正しい現状認識を多くの人に持ってもらうことの重要性として挙げられていた米国の事例ですが、Reimers教授は、自国アメリカがUNESCOでの常任国枠を失ったことについてもコメントしていました。「国民の無知/無関心によって、自らの権利を(国際会議の場で)主張する立場すら失っている」「更にその失っていることすら知らない人が多い」と言っていました。これは政策/選挙に関する国民の興味や知識の無さが、自国/自分達の権利を主張する機会すらを奪ってしまった事例です。(米国でとある一つの法律を変更にすれば、UNESCOでの枠を再取得することができるのですが、その重要性を主張する人の少なさのために、議会での優先順位は下げられている状況です)

別に米国に限った話ではないと感じます。

Even though living in a highly interdependent world is not an option but being educated to do so competently is. (相互依存度の高まる世界で生きるかどうかの選択権はないが、私達にはそこでしっかりと生き抜くための教育を受けるかどうかを選択することはできる)と。

今回は調べる時間がなかったですが、いつか日本ではどういうGlobal Civic Educationを意識しているのか確認してみようと思います。


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