Tomoko Matsukawa 松川倫子

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キャリアをデザインする際の3つのアプローチ

あなたにとって「できること」「したいこと」「やるべきこと」の交わるところは何でしょう、というフレームワーク。

最近この中心部分へ近づいていく道のりは色々あるんだ、と考えることが増えてきました。色々な人の人生のストーリーに触れることが増え、自分の中で整理して、この中心部分への行き方には大きく3つのパターンがあるのではないかなぁ、というように。

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「できること」から始まるパターン

一つ目のパターンは「できること」が突き抜けていたり、自分という個人を差別化できる何かが分かっている人の道のり。社会の中でそれを活かして自己表現したり、存在意義を感じる場所というものが比較的分かりやすい分野にいる人達。社会への提供価値が外からも分かりやすいので、他者からもポジティブフィードバックを受けやすく、それがループとなり「したいこと」と「できること」が重なって行く。(なので自分が得意だったとしてもそれが特に好きでない場合はこのケースに当てはまらない)

その過程で周りからの期待や自分で設定していくアウトプットに対するゴールが高まっていき、次第に「(自分が社会に対して)なすべきこと」が確立されていく・・・自分の周りでこのパターンに当てはまる人はアーティストやプログラマーのような方々。特定分野のコンサルタントや物書きといった方々もそんなイメージ。おそらく大企業の中でもこういう人が、特に専門職を中心にいるのではないでしょうか。

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パターン①

自分からすると「そんな『何か(尖ったスキル)』を持っている人は羨ましいな」といったところなのですが。

内発的な「やるべきこと」から始まるパターン

別のパターンは「やるべきこと」と「したいこと」の重なりが出発点に走り出す人達のストーリー。営利/非営利を問わず起業している人達や国際開発・福祉・ボランティアなどに突き進んでいる人達を想定。政治家や医者を目指す人の中にも一定数いるはずのこのグループ。心が揺さぶられる何らかの原体験や、自分のアイデンティティに関わる何かに対する当事者意識が高まっていく状態が出発点になっている場合も多いという印象を持っています。

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パターン②

必ずしもその人の有する「できること」が最初から十分にあるわけでなくても、この道を歩みながら、(時に走りながら)、失敗からも実践からも学び、強くなり、3つの輪っかが重なる部分が大きく育っていっているような、そんなイメージ。

このパターンに当てはまらない自分からすると、これも「そんな『何か(圧倒的な強い思い)』を持っている人は羨ましいな」といったところだったりします。

(補足:自分がちょっとイメージつきにくいのは企業という組織の中の人の場合。企業の中での「やるべきこと」って多くの場合は外から動機づけられたものが多いので、その場合全てのケースでこういう道のりになるのかは正直分かりません。一方で、昇格などを通じて「やるべきこと」(自社のために良きマネージャーになること)が「したいこと」(自社への貢献を最大化したい)と重なるような人であったり、新規市場開拓などを任されて「やるべきこと」に飛び込んだのちに、「したいこと」(成功させたい)に重なっていく人達もいるのだろうと推測します)

最初のパターンもこのパターンにおいても、人生のどのタイミングでこの「道のり」を歩んでいるかは人それぞれで、両方のパターンを異なる分野で同時にジャグリングしている人もいるかもしれないし、または、数年前にパターン①を経た人が今違う分野でパターン②を歩んでいる人もいるのかもしれません。どちらにせよ、この重なる部分に関することを日々の仕事に出来るという事は、幸せなことなんだと思います。その人個人にとってもそうだし、おそらく社会にとってもそうだと感じます。

・・・でも「したいこと」や「できること」が最初からクッキリ見えている人なんて、きっとそんなに世の中多くない、そういうことも最近感じます。

特に大学進学や就職活動という、全員がほぼ同時期にくぐらなくてはいけない(数年の誤差はあれど)「タイミング」でそれが見えている人なんて少数派。そのタイミングに合わせ、いきなり考え抜いても見つけられるものでもないはずで。そういう人達に「やりたいことを見つけよう」というのは結構厳しいメッセージだったりします。やりたいことが分からないからと立ち止まって考え続けている人もたまに見ます。

では、そういう人達はどういう道のりを経て「3つの輪っかが重なる部分」を育ててきたのでしょうか。自分が最初の二つのパターンのどちらでもない20代を過ごしていたので、以前から漠然と思っていたのですが、最近なんとなく自分の中で整理がされつつあります。そんな視点で他の人を見てみると、その第三のパターンに当てはまる人が結構多いかも、と思うようになりました。

そんな自分の仮説はこんな感じです。

どちらでもない第3のパターン

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パターン③

この緑の部分の「これが今の自分がやりたいことなのかも」にはType I エラー(実際には存在しないのに「存在する」と思い込んでしまうパターン)があったり、Type IIエラー(本当はそれが自分のやりたいことなのにそれを見逃してしまうパターン)もあります。

結果として、このパターンの人達はパターン①/②の人達に比べると回り道をしているような見え方をするかもしれません。

就活中の(または転職活動中の)上の図の中の一番左の状態にいるような人へ自分がアドバイスをするとしたら「目の前のことをまず一生懸命やってみよう」ということになるのだと思います。この「一生懸命やってみる」には、自分のやるべきことに対して「どうしたら更に上手くできるだろう」であったり、「提供価値を最大化するためにはどのような別の工夫ができるだろう」といった風に頭を使ってね、というメッセージも含まれています。

なぜなら、その「行動/実践」と「一歩引いて考える内省」の繰り返しの中で、少しづつ、自分個人がやるべきこと、自分個人の存在意義を感じること、自分が「これが今の自分がやりたいことなのかも」と言えること、がぼんやりと見えてくるのではないかと思っているから。

様々な試行錯誤の繰り返しと出会いが、当初は「ぼんやり」していた「これが自分がしたいことかも」を次第に「くっきり」と。人生の先輩方や自分の同世代の多くのストーリーを聞いているとそういうケースが結構多いのだな、といことを思います。その事例にたくさん触れていなかった時は、そんなパターンがあるなんて知らなくて焦っていたりしたときもありましたが、今なら結構自信を持って言える事。こういう人達、結構多いのだよ、と。現時点の自分についても、今していることが確実に「したいこと」かどうかはまだ良く分からないですが、上記の図の左から二番目の状態よりは右から二番目の状態に着実に移行したと感じています。

そのプロセスで大事なのが、「試行錯誤」として何らかの行動を起こすこと(その結果得られるものがなんであるか分からなくても)そして様々な人との「出会い」を大切にするということ。

試行錯誤時にとった勇気ある行動は自分という人間の「できること」の器をちょっぴり広くしてくれ、そしてそれを通じて貴重な出会いに恵まれる機会も可能性も増やされる。

そのように出会った人達からは「したいこと」や「やるべきこと」のきっかけが自分の目の前を通ったときに、それをつかみ取るために必要な勇気をもらえます。また、掴んだ後にそれを原動力にするための「可能性の実感」というものももらえます。

自分一人では、せっかく生まれた小さな「したいこと」の輪っかはおそらく大きく育たない。そういう意味では誰に出会い、誰の影響を受けるか、というのも「一所懸命」の過程で意識するべきことなのかもしれません。

この道のりを模索している途中で強い原体験があって、パターン②にジャンプする人もいるかもしれないですし、ジワジワと輪っかが重なる部分を広げていく人もいるのでしょう。またはシリアルアントレプレナー(連続で複数の起業をしていく人)みたいな形で様々な「交差する部分」描き続ける人もいると感じます。

それらをどういうペースで、どういう模様・順番で、皆が「できること」「したいこと」「やるべきこと」を描いていくか。ここ数年出会っている同世代の人々、それぞれバラエティに富んだキャリアのデザインの軌跡が見えていて、とても興味深いです。

だから今この瞬間に「何がしたいか分からない」という人達も、特に焦らず、自分らしい軌跡を描いていけばいいのではないかな、と感じます。

ちなみに今朝Twitterを流れてきたこちらの動画「為末大氏×細野豪志氏×國領二郎氏×小林りん氏×宮城治男氏 社会をデザインし、世界に貢献する仕事とは(G1カレッジ2014)」(1時間)に登場していた方々のそれぞれのストーリーも興味深いです。彼らのストーリーを聞きながらも最近考えていた三つのパターンについて考えていました。この動画は学生向けのメッセージですが、社会人にも有益なメッセージが多いものです。

印象に残ったのは為末さんの「群れるな」というメッセージと小林りんさんの「悲観は気分、楽観は意志」という部分でした。

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