海外にいる時の日本語力
ニューヨークに引っ越してきた2013年の夏、この街には日本人の友達がほとんどいませんでした。NYUに留学中のmichiyoさん、大学時代からの親友の看護士のM、そして高校の同級生で医師レジデンスのM・・それから知り合いやたまにお会いする方は増えましたが気軽にさくっと会う関係の日本語スピーカーは片手で数えるくらい。
「日本語で他人と語り合う場」が少ない。。。
そのことをあまり気にはしていなかったのですが、最近自分の日本語力について少し考えるようになりました。
「日本語で他人と語り合う場」が少ない。。。
そのことをあまり気にはしていなかったのですが、最近自分の日本語力について少し考えるようになりました。
このままジワジワと退化させちゃっていいのだろうか、と。
使わないと、少し「サビついて」しまうんです、言語って。科学的に証明されてるか分からないですが、自分の感覚的には英語も日本語も使わないと言い回しが頭に浮かび、舌の上を転がるまでに要する時間が長くなっていきます。
2001-2005年に留学したときに比べて圧倒的に存在感を増したFacebook Twitter Feedlyなどツール。これらは日本語の活字を自分の目の前に容赦無く流してきます。初めて海外留学したときよりも英語力上達の面で追い風が弱まっているのを感じていた理由の一つは私がこれらを完全にシャットオフすることができなかったからと少し思っているくらいです。なんというか、追いつめられ度が違いました(過去のエントリー: 渡米して4日目 - 2001年の時との違い)
ニューヨークに来てから定期的に会う日本語スピーカーが本当にいなくなり、ブログ以外で一定量の日本語のアウトプットをする時はどんどん減る一方。たまにある日本人友人達とのスカイプや出張や旅行でニューヨークに立ち寄ってくれる方々との食事の時間のみ。そんな感じになりました。
特にビザの関係でアメリカ国外渡航ができなかった過去10ヶ月くらいの間はずっとそんな環境にいたのですが、最近自分の日本語を話す力が落ちたな、と感じるようになりました。
以前二種類の英語の流暢さについて書きましたが(過去エントリー: 2つの英語の流暢さ(fluency) )そこにでてきた①basic interpersonal communicative skills (BICS) と②cognitive academic language proficiency (CALP) を日本語に置き換えて考えた場合・・今の自分は(元から大して高くなかった)「日本語の 'cognitive academic language proficiency'」が確実に低下している気がするのです。
このブログのように文章を書く時は何度か読み返したり、少し書き直したりしますが、人と対話しているときは当たり前ですがそれができません。最近は伝えようと思っていることを表す表現が思いつかなかったり、いいたいことは頭をグルグル回っていても最初の一言が出てくるのに少し時間がかかったり、接続詞の使い方が変だったり、副詞の置き位置が間違っていたり、自分で意識するようになりました。
日本語を「排除」してても大丈夫だった時
そもそもボストンでの大学院生時代時も日本語を話す機会は多くはありませんでした。なんせ学部700人中二人の日本人でしたし、他の日本人とはボーゲル塾で会うくらい。(過去のエントリ-: ボーゲル塾(ボストンでの課外活動))でもそれは10ヶ月という期間限定のことでしたし、英語力強化の側面からも、むしろ自分にとっては良い環境だと感じてました。2001-2005年に留学したときに比べて圧倒的に存在感を増したFacebook Twitter Feedlyなどツール。これらは日本語の活字を自分の目の前に容赦無く流してきます。初めて海外留学したときよりも英語力上達の面で追い風が弱まっているのを感じていた理由の一つは私がこれらを完全にシャットオフすることができなかったからと少し思っているくらいです。なんというか、追いつめられ度が違いました(過去のエントリー: 渡米して4日目 - 2001年の時との違い)
なので、当時は日本語のアウトプットの場がない事に対して特に深く考えてはいませんでした。ブログも始めていましたし。
日本語スキルを「定期的にトレーニング」する必要がある時
ただ、大学院を卒業し、働き人になり、学生とは違って期間無期限となると話は別。ニューヨークに来てから定期的に会う日本語スピーカーが本当にいなくなり、ブログ以外で一定量の日本語のアウトプットをする時はどんどん減る一方。たまにある日本人友人達とのスカイプや出張や旅行でニューヨークに立ち寄ってくれる方々との食事の時間のみ。そんな感じになりました。
特にビザの関係でアメリカ国外渡航ができなかった過去10ヶ月くらいの間はずっとそんな環境にいたのですが、最近自分の日本語を話す力が落ちたな、と感じるようになりました。
以前二種類の英語の流暢さについて書きましたが(過去エントリー: 2つの英語の流暢さ(fluency) )そこにでてきた①basic interpersonal communicative skills (BICS) と②cognitive academic language proficiency (CALP) を日本語に置き換えて考えた場合・・今の自分は(元から大して高くなかった)「日本語の 'cognitive academic language proficiency'」が確実に低下している気がするのです。
このブログのように文章を書く時は何度か読み返したり、少し書き直したりしますが、人と対話しているときは当たり前ですがそれができません。最近は伝えようと思っていることを表す表現が思いつかなかったり、いいたいことは頭をグルグル回っていても最初の一言が出てくるのに少し時間がかかったり、接続詞の使い方が変だったり、副詞の置き位置が間違っていたり、自分で意識するようになりました。
ただでさえソーシャルセクターやEdtechの世界の単語はカタカナ語に頼りがち。でもそれでは届けたい重要な部分が実は伝わってないし、きっと多くの人には響かない。必要なのは伝えたいアイディアの、重要な部分を、周辺のニュアンスも含め、かつ日本の中で生活している人に有意義な形で噛み砕いて伝えていくということ。だから、海外で見聞きしたことを日本の仲間に理解してほしいと思ったら日本語力は落とすどころか強化していかなければならない。
退化を感じているところじゃないですね。
食べ物に例えてみると、今の私は「ジャンクフード」的な活字を消費している状態。目と頭に「甘い」からついついそっちを読んでしまうけれど、これじゃあトレーニングにはならないよね、と思うようになりました。
しかも、そういう文章を読む事に慣れすぎると噛みごたえのある「身体に良い食べ物」に腰が重くなってきます。長い文章、複雑な文章、表現力豊かな文章への集中力が続かなくなる。食べ物例えを続けるとすると、刺激物や過剰な佐藤にコーティングされたものばかり食べてて味覚が狂ったり。消化不良にもなっている感じでしょうか。
どうやったらちゃんと良質なものを取り入れる時間を定期的に確保できるか。2015年はもっとスクリーンから離れてリアルの本を手にする時間(ー携帯から離れる時間)を定期的にとっていこう、そんなことを思います。
一時帰国中はたくさん日本語話して(text messageやemailでなく)リハビリしなきゃです。
日本語スキルを磨くには
具体的には良質な日本語を読む機会を増やさないといけない・・と思っています。食べ物に例えてみると、今の私は「ジャンクフード」的な活字を消費している状態。目と頭に「甘い」からついついそっちを読んでしまうけれど、これじゃあトレーニングにはならないよね、と思うようになりました。
しかも、そういう文章を読む事に慣れすぎると噛みごたえのある「身体に良い食べ物」に腰が重くなってきます。長い文章、複雑な文章、表現力豊かな文章への集中力が続かなくなる。食べ物例えを続けるとすると、刺激物や過剰な佐藤にコーティングされたものばかり食べてて味覚が狂ったり。消化不良にもなっている感じでしょうか。
どうやったらちゃんと良質なものを取り入れる時間を定期的に確保できるか。2015年はもっとスクリーンから離れてリアルの本を手にする時間(ー携帯から離れる時間)を定期的にとっていこう、そんなことを思います。
一時帰国中はたくさん日本語話して(text messageやemailでなく)リハビリしなきゃです。