Tomoko Matsukawa 松川倫子

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白でもなく黒でもなく

Acumenという組織で学んだ重要なことの一つ、それは「白黒をつけることを急ぐより、その中間のグレーゾーンに居続けることのほうが重要なときがある」ということ。

少し違う言い方をすると「2つある選択肢のどちらか一方だけを選ぶことよりも、誰もが思いつかなかった新しい3つ目の選択肢を創るほうが、一見回り道にみえたとしても中長期的に有意義なことがある」ということ。

これは「慈善活動・寄付の世界」と「資本主義の世界」をつなげようとしたことが出発点にある組織にいるからこその考え方なのかもしれないけれど、でも、そういうモヤモヤゾーンに立ってみるからこそ新しい物事の見方に気付いたり、目指しているゴールやありたい姿に向かう新しい道筋のヒントが見えてくることがある、というはなし。

例えば「社会的インパクト」と「経済的に持続可能なビジネスモデル」のバランスの取り方、「大胆な考え方」と「謙虚な気持ち」を兼ね備えるということ、「伝統的な要素を大切にする姿勢」と「イノベーションを追求する姿勢」、「自分を愛すること」と「大切な人たちを愛するということ」・・・・両方大事なのはわかるけれど、なんとなく対立構造で提示されるとどちらか一つを優先しなくちゃいけない感じにさせられる。でもどっちがより重要かと選ぶのではなく、両方のうまく掛け合わした「見たことのない何か」を、それがどういうものかが分からないなりに見出そうとする過程に向き合うのはどうだろう、そんな考え方。

今まで慣れ親しんだアプローチとは違うけど

Acumen以前の人生において「白黒をはっきりさせる」能力や「見えているオプションを比較し、最適に思われるものを選ぶ」能力を鍛えら続けられていた自分には、このアプローチは新鮮なものに映ったし、最初はそれがどう有意義なのかも正直よくわからなかった。

「正しい答を選びだす」ことに重きを置いていることの多かった学校教育のレールに乗っていたし、社会人になってからも、スピーディーに正しい答えを見えている選択肢の中から選び出す能力を評価されるシステムにいた結果、逆側のスキルを習得する、または鍛える機会がほとんどなかったからだろう。

そうやって自分に染み込まれている白黒つけたい気持ちはなかなか簡単には消え去らないから、敢えて主体的にグレーゾーンに少し長く滞在しようとすると居心地が悪い。体力も消耗するし、早く誰かがベストな解を教えてくれるといいのに、と思ったり。または見えている選択肢の中で決着つけちゃおうかと妥協案を囁く声が頭をよぎったり。

こういうアプローチをとるために必要な「筋力」も大切だった

でも、そういうモヤモヤグレーゾーンに、居心地が悪いのを我慢した上で立ってみるからこそ見えてくる新しい物事の見方、目指しているゴールやありたい姿に向かう新しい道筋のヒントがある、と私は信じてて。実際に過去数年の間自分が直接恩恵を受けることもあったし、周りでこのアプローチによって「その人オリジナルの道のり」を創り出していて輝いてる仲間がいる(仕事でも、プライベートでも応用可能)

特に、自分が作りたい未来像(それが社会といった大きなものから自分の幸せ像というミクロのものまで)がある程度あって、それに向かう道のりが既存の身の周りにある事例や従来の解の出し方だけでは不十分だと思うのなら、試してみる価値ありかと。最初は居心地悪く感じるかもしれないけれど。

いくつか具体的には:

  • 白黒つけようとしている自分を見つけたら、または見えてる選択肢から何かを選ぼうとしている自分を見つけたら一呼吸おいてみる。

  • 自分がいつの間にか持つようになっていた前提であったり、無意識のうちに身につけていたバイアスに冷静に向き合う時間をつくること。

  • 居心地が悪くても、それをイノベーションに向けての道のりと前向きに捉えて、その場所で観察、考察、質問・自問、想像する。

  • 勇気を出し「目指しているゴールはこういうもので」を他者に共有しながら、共感する仲間であったり自分の応援者を増やしていく。

といったところだろうか。

最近とあるインタビューでこの点について考えを伝えることがあったので備忘メモ。

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