Tomoko Matsukawa 松川倫子

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確証バイアス(Confirmation Bias)という罠

先週末に「Making a Murderer(直訳:殺人犯が出来るまで)」というドキュメンタリーTV番組の第二シーズンがNetflixで始まりました。冤罪で18年間服役した後に無罪放免された男性が、その二年後の2005年に殺人罪で有罪判決を受けてからの話を追っている番組です。舞台は広大な土地が広がるウィスコンシン州。

ドキュメンタリー番組自体は「再び冤罪で服役することになった主人公の無罪を証明する」トーンで作り込まれており、第一シーズン報道以降のメディアや世間の反応は数年前に大きな話題になったPodcastの「Serial」を思い出させるものでした。(過去エントリー: 超人気のポッドキャスト番組「SERIAL」- 2014年11月)

第一シーズンとはちょっと違う気持ち

最初のシーズンを見たときは「こんなリアルがあるのか」「無罪の人がこんなことになるなんて、と」とアメリカの司法システムに存在する落とし穴について、社会に深く根ざしている格差について、色々暗い気持ちになったのを覚えています。・・ですが、今回はなんだか少し違うことに自分の意識が向いていることに気がつきました。

前回この番組を見ていたときと何が違うんだろう、と思った矢先に 「The Cognitive Biases Trkcing Your Brain - The Atlantic」という記事を読みました。認知心理学でよく取り上げられる思考バイアスとその乗り越え方法(またはそれが可能なのかどうかの議論)についての記事なのですが、以下の箇所が印象的でした。
" If I had to single out a particular bias as the most pervasive and damaging, it would probably be confirmation bias. That’s the effect that leads us to look for evidence confirming what we already think or suspect, to view facts and ideas we encounter as further confirmation, and to discount or ignore any piece of evidence that seems to support an alternate view. Confirmation bias shows up most blatantly in our current political divide, where each side seems unable to allow that the other side is right about anything." 
・Confirmation bias:日本語訳は確証バイアス。 wikipediaによると「仮説や信念を検証する際にそれを支持する情報ばかりを集め、反証する情報を無視または集めようとしない傾向」と定義されています 
そう、第二シーズンでは主人公が有罪であるかもしれない可能性やそれを支援する証拠はほとんど取り上げられていません。むしろエピソードのところどころに「以下は取材への協力を拒否・または応答なしであった方々です」とたくさんの個人名が登場してきます。

それらを幾度か見せられる中で、私の中で「このエピソードは主人公の無実を検証する際に参考になりそうな情報が主に集まっているものなんだな」という気持ちが少しづつ育っていったのだと思います。第一シーズンを見たときは主人公の無実をほぼ疑わなかったのに、第二シーズンでは「このドキュメンタリー番組は制作過程に確証バイアスがかかっているんだろうな」というように。

そしてそうやって確証バイアスの可能性が頭に浮かんでしまったが最後、第一エピソードのときのように心から主人公の無罪を信じドキドキハラハラするということができなくなってしまったのだと感じます。「あれ、逆側の意見は?」が頭に何度か浮かぶようになってしまって。

情報を受け取る側として

社会に対して印象濃いメッセージを発信する媒体として、または、ストーリー性の高い番組の提供側としては「無実なのに有罪判決が下された被害者」という構造が効果的なのはわかります。このドキュメンタリー番組は本当にうまくできているな、と感じます。見たことのない人はぜひ見て欲しいな、とも思います。

一方で、そうやって上手く作られたものを受け取り消費する側の私たちは少し気をつけなくてはいけないな、とも思わされます。有名なTED Talk「The danger of a single story」(意訳:偏りのある物事の見方に基づいた物語を伝えることの危険性)のことを思いました。

ストーリーテリングは強いメッセージを届けるのに効果的なツールである一方で、気をつけないとバイアスがかかった(多くの場合真実から大きく乖離した)内容を広めることになりかねない。だからその危険性を意識した上で私たちは物語を伝え、人が伝える物語を受け止めよう、そういう内容のTED Talkです。



Atlanticの記事には、認知心理的な罠(バイアス)の存在を意識していたとしても私たちは完全にそれらを防ぐことができないらしいということが書いてありました。

そうだとしたら、私たちは与えられた情報(それがいかに上手く作り込まれたドキュメンタリーであったとしても、心が震えるようなストーリーテリングだったとしても)を消費する側の人間として、またはそれを他者に自分が拡散する可能性のある人間として、時折自分の中で確証バイアスが働いていなかったかどうかを振り返る必要があるのでは、と改めて思わされます。

自分の頭の中で、心の中で。ある程度の確信を持って強く思っていることは一体どこからやってきたものなのか。自分に届く過程で確証バイアスは働いていなかっただろうか、または自分の中でほんわかに抱いていた気持ちが確信に変わる過程で同じようにバイアスは働いていなかっただろうか、と。

自分たちの都合のいいように・または自分の信じているシナリオに収まるように、情報を取捨選択し、点を無理やりつなげていないだろうか、と。

・・・・・メタ認知の世界は奥深い。

P.S. この分野の理解をもう少し深めるためにAtlanticの記事にあった無料Courseraのコース「 Mindware: Critical Thinking for the Information Age」を時間があったらやってみようかな、と思っています。


関連エントリー:
Mechanized Intelligenceの時代に一層大事になるタイプの人間
白でもなく黒でもなく
2016年11月9日 ニューヨークにて

Netflix:
Making a Murdererサイト