Tomoko Matsukawa 松川倫子

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「アメリカの教育の2つの問題」から考えてみた日本の教育の問題

友達がFacebookで共有してくれた以下の記事。よくまとまっているなぁと勉強になったことに加えて、自分の学科(教育とテクノロジー)に関係するので備忘メモ。

シリコンバレーの教育ベンチャー業界に、あなたが注目すべき理由【連載:上杉周作①】2012.08.23(エンジニアType)

その中にこんなことが書いてあった。

「アメリカの教育の問題は大きく分けて2つあります。まず、『初等/中等教育のレベルが低過ぎる』こと。(中略)もう1つの問題は『高等教育の費用が高過ぎる』こと。」- 上記記事

それを見ながら、「果たして日本の教育の問題はなんだろう?」と頭が動く。

もともと日本に関しては、学校教育の出口側にある「キャリアの入り口」側にも問題があると感じているのだけれども、学校教育について個人的に考えているのは以下の2つ。

  1. 自身の強みやワクワクの源を知るために必要な機会・情報の提供が不十分であること(またはそれを邪魔する機会や情報が氾濫しているという現状が問題)

  2. 個人の個性/多様性を尊重した学習環境が整備されていないこと

前者はOG訪問などで自分より若い人達と話をする度に感じること。

周囲の大人が色々な可能性を見せてあげない限り、多くの子は今時点で見えている選択肢の中から選ばなければいけないのだと思いがち。(ガッツがあり自分でガツガツ情報・機会を取りにいく子達を除く)もっと色々な道の歩み方(方向性、ペース、ルートの形)が世の中に存在していて、それを選択することが良い事なのだとメッセージを伝え続ける仕組みが必要な気がする。最短距離一直線でなくてもっともっと「遊び」があってもいいのだという風に。

一方後者に関しては評価に使われる「定規」の設計にも関係する話(従来は偏差値・100点満点の点数・ランキングなど軸は単一)。こちらの方も工夫し豊かなものに意識的にしていく必要があると思う。(でないと情報を受けとっても行動を起こすまでの道のハードルが残る)

とはいえ、自分自身が「自身の強みやワクワクの源」をいつどう知ることがあっただろうか、とか、単一の評価軸の中で学習する環境にいて何か不便さを感じていたか?と振り返ると、敷かれたレールの上にいた時には特に「これは問題だ」と思っていたわけではない気もする。

そういうことを意識すること・立ち止まって考えることが大事だよ、というメッセージも特に受け取った記憶があまりない。

ただ、大学進学であったり大学卒業後のことを考える時に、だんだんと自分の強みであったり(それは理数系のテストの成績がいいから自分は理系なんだ、という発見ではなくて)、どういうことに自分がワクワクするかであったり、色々な道の歩み方がある・・・・そういうことに意識を向けてこなかったことの弊害を感じることになる。

そうだなかったとしても、社会人になってしばらく経ってから、どこにどう進んだら自分にとっての幸せかがわからなくなって立ち止まる人もたくさんいる。

そういう意味で、アメリカの教育の課題として挙げられた上記の二つのものとは違う、表層的には問題の深刻さが伝わりにくい日本の教育の課題のほうが色々根は深いかもしれない。

そんなことを上杉さんの記事を見ながら想ったりした。

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