Tomoko Matsukawa 松川倫子

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6ドルのラテを飲む時間

パーソナルファイナンスのアドバイスで良く聞く話。

「まずは、無駄な出費を減らしましょう」

例えとして、紹介される。外で飲むコーヒー。

私の場合はアイスコーヒーや、ブレンドではなく、ラテ系の飲み物を飲む人間なので、単価はより高い。贅沢な出費であり、見方によっては無駄な出費である。チリも積もれば山になる。

それでも、なかなか、辞められない。

カフェについつい足を運んでしまう。

これは、日本にいる私の母も同じで、一時帰国の時、2人が一緒になると、かなりカフェ率が高まってしまう。

喉が乾いているのなら、水筒を持ち歩けばいい(コストはゼロ)、ペットボトルや缶を買えばいい(コストは3-50%低い)。

私の好きなカフェ時間は、朝子供をデイケアに送った後の帰り道なのだけれど、スーパーに寄る前に行きたくなってしまう。家に帰れば彼が淹れているコーヒーがあるというのに。

そんな時に思い出すのは、母がカフェをやっていた時のこと。

彼女は、手作りパン・ケーキ・スープを出すカフェを虎ノ門でやっていたことがある。それまで「多趣味で行動的な専業主婦」をずっとやっていた人が50代に流れで始めたカフェ経営。

朝4-5時台に起き、仕込みに出かけ、閉店後の片付けを含めて夜8-9時に帰宅していたことを記憶する。

そんな彼女の息抜きの一つは閉店後に近くのチェーンのカフェにいくことだった。

店を切り盛りするオーナー、という役割から、家の中での役割に切り替わる間の束の間のmy time。

私は当時もなんとなく彼女の気持ちが分かっていたつもりだけれど、最近はより気持ちがわかる気がしている。

私の父は決して母に「家事炊事洗濯」の役割を押しつける人じゃないし、むしろ、あの世代の人の中では相当協力的なパートナーであると思う。

とはいえ、父と猫2匹がいる家に一歩踏み入れた母は、家の中での自分の任務遂行のためにON状態になる。それらが全部終わってからではないと彼女の”me time”は始まらない。そして、それは大体家の中の他のメンバー全員が寝たあとになる。

私は、母に比べて「家事炊事洗濯」の遂行能力はかなり低い水準にあるのだけれど(洗濯は同じか)、そんな私も母と似たパターンを過ごしている。

在宅勤務の彼が家にいて、家の中に足を踏み入れると、頼まれたり、誰かがやらなきゃと言ってる訳でもないのに「家の中で発揮すべき役割を持つリーダー」になってしまう。

「これ、やってほしい」とパートナーに頼む、という行動(delegation)をとるにも、自分が主体的にリーダーシップを発揮しなくては何も始まらない。

だから、家の中では、すぐには”me time”は取れない。

だから、カフェにいく。

カフェで安くないお金を払って、席に座り、自分が使いたいようにその時間を使えるということは、日々めまぐるしい生活をしているworking motherにとっては、そんな価値がある。

夜に、窓の外が真っ暗な中得られる”me time”とは違う、限られた時間だけれど、心がホッとする、大切な時間。そんな時間を自分にご褒美としてあげるための、6ドルのラテの購入なのだ。

そんな正当化をしながら、今日も束の間のラテ時間を満喫する。

帰宅したらまた、やることが山ほどある。

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