「留学経験者→日本」の落とし穴

一つ前の振り返りのブログからの続き。

これは全ての人に当てはまることじゃないかもしれないけど私が自分について最近感じる事。

今後変化していくことかもしれないけれども現時点では留学経験者の日本人で、かつ多くの企業が求める基礎スキル(例えば論理的思考力やコミュニケーション力)をクリアしてそうな感じが伝わる人間だったら、ある程度の確度で「重宝」されるのが今の日本のJob Marketだと思う。

バイリンガルが相対的に少ない国だし、留学といった異文化経験を重視するトレンドが強まっている割には海外留学生の絶対数はそこまで増えていないわけだから需給バランスからいって
「重宝」していただくのは大変有り難いことだと思う。

でもそれを知っている、または一度体験してしまった私みたいな人間はこの誘惑を「振り切る」のに多少の強い心が必要になる。

世界水準の人材がしのぎを削る、ビザ給付の見通しさえついてこない、言語も100%使いこなせない他の国で仕事を探すという大変さと比べると「重宝」されるのが分かっている範囲内で身の振り方を決めるという選択肢がどれだけ魅力的に感じることか。

でもそれって易きに流れているだけでない?
と前回のブログに関連して感じ始めたのが最近の気持ちです。

そもそも自分が帰国して「貢献できる」と思うことがそもそも非常に図々しくないかい、自分?、と最近思うことも多い。

日本で知り合った刺激的な友人+人生の先輩の多くはパッションを持って社会、または所属する組織に対して貢献していこうとする意欲が高い。本当に素敵だと思う。うらやましいな、と思う。

その一方でそういう人達との関わりを続けていたことを通じて自分にもその「貢献能力」があるのではと勘違いし始めていた気がする・・・と最近思うようになってきた。

なぜならばそういう友人達は自分よりもっともっと努力家だし若いとき(20代前半や半ば)からインプットをしっかり増やし、経験も積んでいるということに気付いてしまったから。

私はインプットも経験も全然足りていない。だからきっと意欲の量も全然比較すると足りない。

日本人として、バイリンガルとして、海外で様々な知見を吸収してきた人として、確かに今の状態でも少しは何らかのお役に立てることもあるかもしれない。

でも、少なくても今の自分は"welcome”モードのところに戻ることが最善策でない気がする。。

日本は大好きな人達もたくさんいるし、おいしくて、綺麗で、安全で、自分を認めてくれるコミュニティを見つけやすい環境もそろっているから本当に魅力的だけどやっぱりもうちょっと外でもまれて強くなる必要がある・・。そして「意欲」ももう少し強まった状態になりたい。

何歳になっても自分のComfort Zoneを抜け出すパワーを無くさないようにしたいものです。

下手に戦略立案の仕方とか学んじゃって個人のポジショニングについても「自分ができること・知っていること」 「自分がすべきこと」・・その中で「自分がやりたいこと」
の順番で考える癖がついていた気がする。

「自分がやりたいこと」を出発点に、そのあとで「自分がすべきこと」や「自分ができること・知っていること」に意識を向けるようなプロセスを踏んで行きたいものです。




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