外の世界で出会う自分の国の人

卒業まで1ヶ月と1週間ちょっと、となり(友達が作ったカウントダウンクロック)、課題や卒業後に向けた準備のみならず、この時期集中するボストンへのvisitorsの方々との会う予定やここでしか会えない方々との会う予定などでバタバタしています。

インプットはものすごく増えているのに、振り返り用にブログに書けない事が若干フラストレーションになりつつあり・・1日24時間だと足りないと思いつつの朝2時半です。(明日はインターンが二件)

今日は先週土曜のブランチとディナーで出て来た話で、留学当初から自分が薄々と感じていたことと重なる話です。ブランチはHBSの日本人の友達、ただし彼女は学部はアメリカ日本での勤務先は外資系という経歴の子。ディナーはHGSEの韓国人の友達、過去10年ほど米国に住んでいて学部は私と同じアメリカの大学と。

「外の世界で出会う自分の国の人」というテーマ。海外にやってきた日本人一人一人の立ち振る舞いに対して。また、それを見て自分が感じたり考えたりすることについて。

①一つ目は「同じ日本人だったら、皆大体同じような考え方をしているにちがいない」という勝手な前提が本当に誤ったものだな、という気づきを得たという話。もちろんアメリカに比べたら同質的な社会の日本なのですが、やっぱり色々な人がいるのだ、ということを改めて体感することが
ありました。

それに気づかなかったとき、特に留学直後はなぜか日本人同士で会話をする時のほうが他国の人と話すよりも緊張を感じ、プチフラストレーションを感じることがありました。海外に来ている日本人はそれぞれある程度の強い想いやプライドを持っていることが多いです。だからなおさら「異なる考えのぶつかり合い、価値観の相違点」を感じる機会があるのかもしれません。

今更ですが「日本人」の中でも色々な人がいます。「ボストンに大学院留学に来ている日本人」という、一見共通項の多そうな、クラスターの人達の中でさえ「色々」です。そういうことを改めて考えさせられます。

②もう一つは「留学先の『日本代表』仲間に自分が無意識のうちに多くを求めているんだな」という自分の勝手な期待の存在です。期待値が高いが故に、若干心穏やかでない気持ちになってしまうことも少なくないし。外国人が何してても気にならないのに日本人の発言や行動に対しては色々感じてしまうのはやはりどこかでそういう気持ちがあるからなのだろう、と最近気付きはじめました。

もちろん自分自身はどうなのか、他の日本人から見て「この人は大丈夫かね、日本人代表として」と思われないように日々意識しないといけないのでですが、どうやらこういう考え方、私だけじゃなさそう、ということに他国から来ている友達と話して気付いたのです。「同じ●●人としてあれは恥ずかしい」、たまにアメリカで出会う海外国籍の人から聞かれる言葉です。

他人の行動を嘆いても、それに対して心のざわめきを大きくしてもしょうがないので、自分達は自分達のできるところで、自分の信じる「イメージ形成」をコツコツと重ねることしかできませんが
この「海外で出会う日本人」というテーマ、その状況に直面した際の自分の心情の動きを分析することで見えてくる自分の思考のクセや隠れた前提、大切にしている価値観などを考えるきっかけとしても面白いな、と思ったりしました。

まあまずは「人の振り見て我が振り直せ」ですが。

最後に・・・

人に何かを伝え/教える過程で大切なのは
①相手に(そのコトを)気付いてもらって
②相手に(そのコトに対して)興味をもってもらって
③相手にその内容を学んでもらう、
というプロセスだとDavid Perkins教授は言っています。

日本人留学生が少ない環境に置いては留学生一人一人がプチ日本代表です。
その代表としてのミッションは周りの人に③のみならず、
その前段階の①と②をいかに上手く提供できるか、も重要だな、と感じます。





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