Tomoko Matsukawa 松川倫子

View Original

2021年と2022年の振り返り

….というタイトルだけれど、これを書いているのは2023年の年末。2021年も2022年も、それぞれ年末に「今年はこんなことがあったな」という下書きをしていたものの、ブログに整理する時間が取れなかった。

まあ、人生そういう時もある。

2012年に大学院留学のために渡米した時から書いていたこのブログも、途中ところどころ細くなって更新頻度が減ったり、書いてるテーマが変わりながらもこうやって続いている。(ブログを始めた当初は「学びとテクノロジー」が中心だった)

記憶力が極端に悪い自分にとっての、軌跡の記録帳であり、日本語を使う機会が少なくなり得る環境に身を置いている自分にとっての日本語練習の場であり、外部から受け取った刺激が自分の思考と感情の両面に静かに起こす小波を観察する機会をくれるもの。このブログはそういう存在。

すっかりタイミングを逃してしまったものの、世界がダイナミックに動いていた2021年・2022年に自分が体験したことを忘れないようにやはり記しておくことにする。

2021年

2020年に引き続き、非常に狭い行動範囲内で生活した2021年。電車に一度も乗らず、ごくたまーーーに義理の両親の運転する車で30分ほど離れた家に行く以外は、半径徒歩30分以内で生活の全てが完結していた1年だった

その分、その域内での濃さ・深さを満喫したり、または、物理的に制約があるからこそ、精神的・社会的な意味での拡張感・充足感を得られるようなことに時間とエネルギーを使っていた一年だったように記憶する。

とはいえ、家族3人での引っ越し、人生で一番長く働いた組織からの退職、コーチェットへの転職、H1BからEビザへの切り替え、と大きなイベントが目白押しの1年だった

下書きメモに自分が書いていた2021年のtop 10は具体的には、こんな内容だった。

  • COVID-19 ワクチンの登場:ワクチンが登場したことによる自分・周囲への影響は大きかった。打つ・打たない、であったり、打ったからOK・打っても慎重、など人によって色々な考え方があり「ま、色々な人がいるよね」的なニューヨークらしい街の光景だったのだけれど、2020年との違いの一つはワクチンの登場だった

  • ウェアラブルとの生活:これはおそらく2020年から使っていたfitbitのことだと思うのだけれど、それがtop 10のリストに入っていたくらい、自分の行動範囲は狭い一年だったのだということが伝わってくる、笑。実際2021年は仕事・転職・ビザ関連・育児などで睡眠時間を確実に犠牲にしていた時期でもあり、fitbitがどのくらい睡眠時間がギリギリな状態だったかを定期的にリマインドしてくれる相棒となり重宝していたのだろう

  • JWN、edamametalk、ポッドキャスト漬け - some things don't change - :2020年からこれらは変わらずのもの。ニューヨークで生活している日本人女性のコミュニティJWNのマンスリーのイベントであったり、edamametalkのポッドキャスト発信、また、内に向きがちな視野・視点に新しい風を、ということでポッドキャストを聴きまくる日々を相変わらず送っていた

  • WBECS:行動範囲が限られた中でも自分をアップデートしたいという欲求があったらしく、WBECS(The World Business & Executive Coaching Summit)というそれまで10年以上毎年開催されていたカンファレンスのオンライン版に参加したりして(主にビジネス文脈で起きている)コーチングを取り巻く世界の潮流に触れたりすることを楽しんでいた。

  • 大学院受験:と、同時に、ウキウキする話ばかりではなく、H1Bビザの終了タイミング(2021年5月)が近づいていたこともあり、next stepに向けて色々準備を考えなければいけない年でもあった。すぐ進学するか不明のまま、2021年には以下の二つの受験をした。コロナへの配慮があってGREという統一試験受験が免除だったことはありがたかった

  • 日本に一時帰国できない間に実家は引っ越し、姪の誕生:コロナ&自分のビザの都合上米国を離れられなかった間に日本にいる家族にも色々な変化が起きていた。ほぼ10年過ごした場所から両親は引っ越し、妹も親になり、と家族間のやりとりが賑やかな年だった

  • 引っ越し:2021年、私達も引越しをした。生後半年ちょっとの子を抱えてのコロナ禍の家探しと引越し。彼と共同生活を始めた思い出の住まい、妊婦生活を過ごした場所、誕生して二日後から子供が生活をしていた「我が家」とのお別れ。人生を通じて住居をしょっちゅう変えていた移動のプロ?のわたしと、引越し業者を一度も使ったことのなかった「ほぼ動いたことのない」彼との共同作業は学びが多かったし、何より乳児がいると、引っ越しの準備って想像以上に進まないんだ、ということを学ぶ体験となった

  • Acumen退職:自分の30代・ニューヨークでの生活基盤を形成してくれた場所であったAcumenを卒業したのも、2021年だった。詳細はこちらのエントリーにて — Acumenでの8年 - 退職後5ヶ月後の振り返り2020年に産休に入る前からずっとわかっていた「2021年5月に退職」だったのでじっくり準備をして迎えたお別れだったものの、完全オンラインでのグローバルチームとのfarewellはなかなか貴重な体験だった。

  • CoachEdにフルタイム参画 - Eビザへの切り替え:ゴールドマン時代の同期が立ち上げたCoachEd(コーチェット)に経営メンバーの一人として、5月に参画した。それに合わせH1BビザからE2ビザへ切り替えるという作業が始まり、それに関わる米国法人の整備や、一人だけ時差のある違う都市からのチーム参加という日々への順応、1歳児を抱えてのスタートアップライフ、それまでずっと働いていた英語環境からのフル日本語環境へのシフト・・・振り返ると2021年は新しい冒険だらけの年だった。コーチェットでは共感するミッション・ビジョン、志とコーチングマインド&スキルを持つ仲間たち、やりがいのある仕事内容が揃っていて、Acumenの次の職場としてこれ以上の場所はなかったんじゃないかという環境がありがたかった

  • 子育て - 離乳食〜初の散髪〜歩き始めて〜デイケアデビュー:慢性的な寝不足の原因の一つでもあった子育てという責務というか役割。どんどん行動範囲が拡大していく半年〜1歳半という子供の時期はそれまでの体験とはまた違う意味で目が離せなくなっていった。そんな子の成長の軌跡を毎日パートナーと共に見守る日々の2021年。子供が1歳半近くになったときに、初めてデイケアというものに週2日(9時から4時)預けてみたりして、すこーしづつ子の生活が外に開かれていくのを一日一日じっくり味わった一年だった

そんな感じの2021年について、自分は「流れを自らつくり出す努力と運命を受け入れるマインドセットのバランス」の1年だった、と下書き用のメモに書いていた。

H1BビザからE2ビザへのStatus of changeのプロセスでも、移民弁護士との相性が悪く最後の最後(年末間近)までできるのかできないのか?できなかったら何日で国外に出なきゃ行けないのか?の綱渡りでソワソワしたりして「運命を受け入れる」が鍛えられた年だったな、という感じ。

第一子の一歳児を抱えながらのフルタイムワーママ@コロナ禍だけでもまあまあ忙しいのに、まあよく頑張ったね、と自分に言いたい。

過去エントリー:コロナ禍の出産・育児・転職を経て変わったこと(2021年11月)

ちなみに四柱推命(しちゅうすいめい)に詳しい先生からは、2021年は私にとって「普通の人だったらかなり大変だと感じることを体験することになる、裁判・法律周り、一筋縄ではいかない流れが起きる」年。「35〜45才の区切りでみても2021年は大変な年(その前に大変だったのは2018年)」と言われていたのだけれど、まあ、そんな感じだったな、という印象。

関連エントリー:一命二運三風水,四積陰德五讀書

ほとんど家を出ていなかったにも関わらず、本当に色々なことがあった。

2022年

そんなドラマチックな一年を終えた2021年末はE2ビザへの切り替えも完了していて、子供もデイケアに少し慣れていた感じで落ち着きかけていたのだけれど、振り返ってみると2022年はそれはそれでジェットコースターみたいな一年だった

多分2021年の振り返りが書けなかったのは、2022年が本当に嵐のような年だったからなんだと思う。

そんな2022年はちょうど4か月づつの、三つの章に自分の人生が分断されていた年だった。 

2021年は想定された流れの中での大きなイベント目白押しだったのに対して、2022年は想定外に発生したビザ更新失敗という事件をきっかけに自分たちの柔軟性と忍耐強さと創造性が試される年だった

2022年第一章

相変わらずほとんどの時間を家の中で過ごし、子供を週2日だけデイケアに預け、CoachEdの仕事をフルにして、睡眠時間ギリギリの中、色々とジャグリング、そんな生活をしていた4ヶ月だった。日本の朝9時はこっちの夜19時。子供が寝るかどうかギリギリなタイミングから会議に参加したり、そもそもスタートアップなので毎日色々やることもあるし、変化も激しいし。走り続けた4ヶ月だった。

ほとんど、仕事と子育てで日々は流れていたと記憶しているけれども、月次の、ニューヨークにいる日本人女性コミュニティのJWNの活動は普通に続けていた。

過去エントリー:「捉え方によって事実が変わる」(2022年3月にブロードウェイ俳優の南さんの話を聞いた時のこと。当時は仕事でも「心理的資本」について結構ハマっていた時で、でも、まさか、このあと2022年自分の「心理的資本」を試され続ける日々が続くとは思ってもいなかったタイミングで書いた記事)

2022年第二章

問題はパート2となった5月から8月の間だ。詳細はまた別にどこかで整理できればと思うが、2年半ぶりに日本へ一時帰国をしようと3週間の予定で帰った時にまさかのEビザ更新失敗(大使館面接にて却下)となりESTAを失い、米国へ戻る道筋がなくなった。実家で結局3ヶ月過ごすことになった。もちろんフルタイムで働きながら。

さすがに3ヶ月目は子供を保育園に預けることにした。とてもいいところに空きがあったのは良かったのだけれど片道40分の距離の場所だったし、真夏の東京は暑かった。汗をかきながら、子供の世話と仕事と、米国に戻る道作りと、と、実家のサポートがあったとはいえ、かなり自分なりに頑張った3ヶ月だった。

2021年以上に、自分の人生のVUCA波をどう乗り切るかのスキルと精神が鍛えられた修行時期だったように捉えている。

一応振り返ってみると、3ヶ月日本にいたことは、結果としては子の食育のために、また、自分のために(日本ならではの桶谷式にお世話になって綺麗に卒乳できた)、そして親のためにも悪いことばかりではなかったと今では言えるのだけれど、いきなり米国に一人残され、生まれてから毎日一緒に過ごした大好きな我が子の2歳の誕生日を一緒に過ごせなくなり、先行き不安にさせられた彼は気の毒だった。

私も、NYの空港に8月前半に戻ってイミグレを通るまでは1日も心から安心することができなかった。

2022年第三章

そして色々な奇跡と努力と周囲のサポートで。ギリギリのところで再びアメリカに。

その後子供は新しいアジア系のデイケアに入るご縁があり、私も時間の使い方を変え、CoachEdの経営メンバーを辞任し、そして10年ぶりの大学院生生活が始まった。

関連エントリー:今通っている大学院のプログラム(もうすぐ折り返し地点)

他にもこの年はikuraプロジェクトが走り始めたり(後日どこかで書く)、ニューヨークで長岡式玄米を炊くようになったり(これもいつか書く)、CPTDを受験することにコミットして料金を支払ったり、色々なことがあった年だった。

関連エントリー:人財開発のプロフェッショナル向けのCPTDという資格(by ATD)

そしてこの頃くらいから、10年近くお世話になっていたGoogleのBloggerから自分のブログを別のところに移そうかな、という検討をしていて、結局2023年の2月に今のSquarespaceへお引越し、となっている

具体で書けないことも他にも色々あり、相変わらず日々がバタバタしていたけれど、家族3人+愛猫でハロウィン、サンクスギビング、クリスマス、年末を楽しむことができたことに心から感謝した。2022年の年末では子供は2歳半。まだまだ発話は遅い子だったけれど、我々二人の子だから一度始まったらきっと話し続けるに違いない、と思って、可愛い「ダー」の時期を楽しんでいた気がする。

世界でもまだコロナ禍という状況で大きな変化が起きている中、私の2021年・2022年という2年もなかなかドラマチックなストーリーが描かれた時期だった。

そして2023年に続く。