コロナ禍の出産・育児・転職を経て変わったこと
以下は2021年の11月に下書きをしていた内容。当時何故公開しなかったのかあまり記憶がないが、2022年の12月、特に加筆修正もせず、そのまま投稿をする。
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最近「great resignation」(仕事を辞める人が絶えない時代、というニュアンス)というフレーズをよく聞く。主にアメリカの労働市場で起きていること、として語られるこれについてはwikipediaのページができているくらいで、そんな流れが終わる気配はまだ見えない。
仕事を辞める直接的な原因は人によって色々あるものの、コロナという外部性のショックを受けて
自分の価値観を見直した結果今の仕事を続けたくない、と去っていった人たち
または現実的な問題として子供の世話をみる人がいない・預ける場所がいない、という理由で労働市場から去っていった人たち
勤務先がコロナの影響を受けて仕事がなくなった人たち
が増えている結果、今アメリカでは「求人数はたくさんあるし、職を探している人もたくさんいるのに、その両者がマッチしていない、それが変わる見通しもたっていない」ということが起きている。
昨日聞いたポッドキャストではこの「自分の価値観を見直す」のところに特に焦点をあてて「great resignation(辞める)じゃなくてgreat reassessment(再検討する)」じゃないか、という言い方もされていた。
確かにコロナと共生する中で仕事に対する価値観が変わっていったという人は私の周りにもとても多い。
私はどうだったであろうか。
自分の過去2年の体験は出産・育児というイベント&その影響なしでは振り返ることが難しい。コロナ禍の影響なのか、母というアイデンティティが自分に加わったことの影響なのか、NYに本社がある組織から東京に本社がある組織に転職をしたことの影響なのか。要因を分けることは難しいのだけれども、子供が週2のデイケアに行き始める、というこのタイミングで立ち止まって振り返ってみようと思う。
手放したもの・受け入れたnew normal
主体的に手放したもの、気づいていたら自分から離れていってしまって「ま、そのままでいいか」となっていたもの、離れてしまったことにやや寂しさや課題意識を感じつつも「今はしょうがない」と自分で折り合いをつけたもの。振り返ってみると色々あった。
自然発生型の「他者との関わり合い」→予定調和ベースに
19ヶ月ほど電車に一度も乗らず、オフィスへの出社もなく、一人で外出することもほとんどなし、という生活をしているので、しょうがないことではあるのだけれど、他者との関わり合いはほぼ全て予定調和済みのものとなってしまった。様々なチャネルを通じた初対面の人との出会いというものが減ったわけではないのだけれども、メールやメッセンジャー上で予定を確保して、という流れでカレンダー上の決まった時間に決まった手段(zoom)でスタートする関わり合い。そうではない自然発生型の関わり合い、というものはなくなってしまった。
以前はイベント(以前書いたことのあるCreative morningsとかJWNとか)に参加することで、その前には想定していなかった出会いなどにたくさん恵まれていた。そういうのが次あるのはいつになるのだろうか。自分で自覚しているわけじゃないけれども、そういった行動パターンを続けていることの自分の価値観・世界観・他人との距離感の取り方への影響は少なからずあるのではないかと思っている。
思考をOFFにする時間 →ほとんどなくなった
過去2年弱を振り返ると、感情・身体への刺激が相対的にずっと少なくなった。それどころか思考をOFFにする時間もぐっと減ってしまった。在宅勤務になり仕事モードと家モードの境目が曖昧になり、1日24時間子供に求められたらすぐonになれるようなモードを続けてきた結果がそこ。思考を完全にOFFにする時間は平均1日4−5時間の睡眠時間中か、大好きな猫を寝る前に撫でてあげる時間くらいになってしまった。
授乳中に子供についてや自身の心情・身体感覚に集中しつつも、ふと、その日の会議の前に準備しようと思っていることに思いが流れていく。妊娠前までは大好きだったワークアウトのクラスに行くこともなくなり、パートナーと一緒に映画とかドラマをゆったり見ながら感情豊かに過ごす時間もなくなり、フィクションものの読書に没頭する時間はもちろん、spotifyで色々な音楽を楽しんだりしていた時間も思考系のpodcastやaudibleに切り替わってしまった。これは子供がデイケアに行き始めたら自分で意識的につくることができることでもあるのだとは思うのだけれど、過去2年弱に失った感覚や衰えた「体や心の筋力」というものはあったのだろう。
関連エントリー:40歳で再開できたワークアウトの習慣(産後2年半にようやく再開)
日本への一時帰国・家族とのリアルの時間 →オンラインに置き換えられる
コロナのせいで、国境を越えた家族であったり、家族になる予定の人たちが様々な不都合を体験しているのを聞いている。自分たちも例外ではなくて、人生初の出産時に大先輩である両親からの直接的な支援を受けることはできず、初孫が生まれてからもう1年半になろうとしているのに私の両親は未だ私の子供に会ったことはないという状態は続いている。ビザ更新の節目ということもあり、自分は米国を出国できない状況も続いていて、次の一時帰国の目処は立っていない。
今までは毎年一時帰国ができる状態で日本国外に住んでいたので、そこまで日本の家族とこまめに連絡を取ることはしていなかったのだけれど(周囲の友人に驚かれるくらい両親との電話やfacetimeはしない人間だった)、ここ1年半は、子供の成長を共有する目的もあり、毎週1回以上zoomで会話をしたり、LINE上でのやりとりの頻度も海外生活をしてきた今までで最もこまめにやりとりをしている気がする。
1日●時間働かなければという焦りへの直面化 →自己受容
仕事が早く終わったとしても、空いた時間を別のタスクで埋めて「働くべき●時間の水準に到達するまで」仕事をしなきゃ、という思い込みのせいで、当初在宅勤務に切り替わったときに慣れるのに苦労した。また子供が産まれてからバランスを取っていく時にもこの自分の思考バイアスの存在のせいでやや苦労した。
どんな仕事でもやるべきリストがゼロになることなんてないのだから、アウトカムベースに切り替えないと、メリハリがつけられなくなる。頭ではわかってていても、心が焦るのはなかなか止められない。今でも子供による想定外の展開がきっかけで自分が予想していたよりも短めで就業時間が終了してしまったり、アウトプットが少ないまま1日が終わってしまうと焦りが生じる。でもそれは「その後に夜でも週末でもバランスとることが可能だ、むしろ量ではなく質・投資時間対アウトプットの質のほうが大事」と少しづつ手応えを得るようになってからは罪悪感を感じることも減っていった。焦る気持ちが生じるのは生理現象だと割り切って、それが生じた時にどう向き合うか、そこを意識するように切り替えていった。
インプット(時間量)ベースに縛られるのではなく、アウトプット・アウトカムベースで自分の仕事について向き合っていくというシフト、他人からはどう見えるだろうという心配でなく(というか、そんな他人は自分が思っているように自分のことを見ていないことの方が多い)自分で自分being/doingのありたい姿を設定してそれを体現することにフォーカスしていく、というシフト。自分のwellbeingのために・自分の在り方によって影響を直接受ける家族のために。たまに締め切りが重なって焦る時にはそのマインドセットを忘れかける時もあるけれども、こういうことにじっくり向き合うことができた「コロナ禍の出産・育児・転職」だったと思う。