自分で色々と決めて来た系の人がぶつかる壁

ちょうど3年前の7月。社会人5年目の終わりとなったあの時、私は第一社目となる会社を辞め、全く異なる業界への第一歩を踏み出しました。

それまでの5年はまさに「learn by doing」という考え方に支配されていた社会人時代。仕事とは現場で学ぶべし、会社の設けている研修は面倒くさい、そういう時間はクライアント対応やマーケット分析に使いたい、使うべし、そういった考え方を持っていた若い自分でした。

その後「人材育成を通じて組織の発展をサポート」というストーリーに憧れて転職先を決めたもの、実際「研修」って果たしてどうなんだろう、と実は少し半信半疑でいながらの、第二社目となる会社での業務開始でありました。その時社会人生活6年目。

人材育成で有名な「7(informal、業務を通じて、など経験を通じて):2(social、周囲の人との関わり合い、指導を受けることを通じて):1(formal、研修という学びの場を通じて)」という黄金比ルールの存在なんてもちろん知らず、7が全てだと思っていた自分が1の世界に飛び込んだわけなので最初は価値観のギャップに自分一人で苦しむこととなりました・・。

そんなモヤモヤとしていた数年前の自分にブレークスルーとなる「!」をくれた二つの考え方。そして、今日はその二つとそれと同じくらい自分にとって最近「!」となった新しい発見についてまとめてみたいと思います。

数年前の自分にブレークスルーを与えてくれた二つの考え方

①ゴシャール教授の「アクティブ・ノンアクション」という考え方(書籍:「意志力革命」

  • Google検索すると丁寧に説明してくださっている方のブログ・書評がたくさんあるのですが(たとえばこちら)上記の「7」が全てだと思い、とりあえずがむしゃらに「アクティブ」状態を続けていた自分にとっては結構ドキリとさせられる内容でした。
  • 「アクティブ」だけれども「ノンアクション」・・・・。なんと恐ろしい響き。しかもそれは加速度を増す傾向があるとあるではないですか。心当たりがなくもない・・・ドキドキ。・・・立ち止まることの重要性を強く意識するようになったきっかけでした。

②野田先生と金井先生の「Lead the self/the people/the society」というフレームワーク(書籍:「リーダーシップの旅 見えないものを見る」)(参考:こちら@GLOBIS.JP)

  • これは「リーダーシップ育成」という大きな世界とたった社会人歴数年ぽっちの自分とのつながりを見出すことに苦しんでいた時に出会って「!」をもらったもの。人生における時期によっておそらくこの書籍から得るものは人それぞれなのだろうけれど、社会人6年目ぽっちの私はごく単純に「Lead the self, lead the people, lead the society」の考え方、対岸の見えない河に一人で入っていくという比喩の使われ方に目からウロコでした。「Lead the self」が何よりも重要、という考え方。そのためには自分の内なる声を意識できることも重要、と。
アクティブ・ノンアクションとの出会いとほぼ同じだったので「はっ」としたわけです。日々とにかくバタバタと行動+思考していたら内省することなんてできないし、内なる声なんて聞こえないだろうな・・するとlead the selfにもつながらない、そんなことを当時考え、自分が以降大人の学習設計をデザインする際のベースとなったのを覚えています。

ちなみに自分は高校卒業以来自分で色々と調べものをした上で物事を判断し人生を好き勝手に歩んで来たこともあり(たくさんの方々との出会いとサポートのお陰でこれているわけですが)「既存リソースを探しに行き、検討材料を集め、『自分の声』を聞き、意思決定をすること」がある時から自分にとっての「道の歩み型のあるべき像」となってきていました。

人は基本的に自分で物事を判断し、道を歩むべきだと。そのためには立ち止まって自分の声を聞く機会が重要だと。ただ、その考え方を少し揺さぶるきっかけとなったものに今週出会ってしまいました。

今回のブレークスルー

それはキーガン教授の「Constructive Developmental Theory」成人以降の心の発達の仕組みに関する理論

英語でAdult learningについて調べていた時に日本語で丁寧に説明されているブログも発見しました。キーガン教授は私の留学していたHGSEの方なのですが残念ながら2012−2013年は授業を受け持ってはいませんでした。ただ、HILTの司会をされていたので拝見することはできました。(関連エントリー

彼は人の「mind(以下「心」と訳)」には5つの段階があるといいます。そしてその全ての段階において「心」が支配されているもの、と支配できるものが存在している、と。

1stは大体2−6歳前後で見られる「impulsive mind」
    • この段階の心を支配しているものは:衝動とperception(五感)
    • 意識をする事で、ある程度コントロールできるもの:動作、知覚、反射反応
2ndは大体6歳前後から思春期までに見られる「imperial/instrumental mind」 
    • この段階の心は「気質/性格、興味、願望、欲求」に支配される傾向がある 
    • 意識すればある程度コントロールできるもの:衝動と五感
ここまではなんとなくイメージがつきます。

3rdは思春期以降の人で「interpersonal mind」多くの大人がここの発達段階にいる可能性があるらしく
    • この段階で人は「気質/性格、興味、願望、欲求」をある程度コントロールできるようになる 
    • 一方で、「他者や社会との調和(※)」といったものに支配されるようになる 
    • この段階にいる人間は何らかの「基準(reference)」を必要としている。その「基準」は個人ではなく、外部(例:両親、専門家、書籍、理論、政府、教育機関、テスト)において定められたものであり、その「基準」に照らし合わした「自分」というものに本来の自分が支配されている段階と言われている (※そのため「interpersonal」のみならず「traditional(伝統的な)」「socialized(社会に適応された)」mindと言われる事もあるらしい)
これもなんとなく分かります。実際自分にも心当たりがあり、自分の心の発達状態が少なからずこの段階にあてはまるなと感じたりします。ここまででも既に面白いのですが更に2つのステージがありまして・・。

4thは色々な呼び方があるみたいですがBergerは「self-authoring mind」と呼んでいるもの。この段階は全ての人が達する訳ではなく、達成する人の間でも時期もはバラバラとされている水準とのこと。
    • この段階の心は、一つ前の「interpersonal mind」が支配されていた「他者や社会との調和」からは解放されている 
    • 一方で、その解放のために必要となった「自分の自律性(autonomy)、自分という人間のアイデンティティ」に逆に支配されるようになるという
「自分はこうである」と自分の中で強い芯を持つことで外部に定められた「基準」から解放される、と同時にむしろそれが今度は新しい壁となる、と。もちろんこの「mind」が悪い訳ではなく、実際英語では:「Able to define who we are without being defined by other people. This order has a self-governing system, a way to generate larger goals, principles, and commitments that transcend any one particular culture of embeddedness (Berger, 2005)」とかっこいいことも書かれています。でも、壁にはなるんですね。

そしてそこを更に超えた成長ステージにいった5段階ステージ。

そんな5thは、ごく稀な一部の人しか到達できないらしく、しかもそれは40歳以上であることが多い、と言われている段階ですが「self-transforming mind」とBergerは呼んでいました。日本語で直訳すると「自ら変容する力を備えた」mindとでもなるのでしょうか。なんだかすごい呼び方です。
    • ここでは4thで自分を支配していた「自律精神豊かな自分」から解放され「自我」を超えて物事を見、考えることができるようになる。 
    • 他者と自分の差異ではなく共通点を見出すことのできる力を備え、かつ自分の考え方+現状の限界を理解し、自ら変化していく力を持つ、と。 
    • 具体的に英語で紹介すると:Have everything the self-authored mind has but also learned the limits of our own inner system thus seeing problems within ourselves. Can hold our identity of who we are and what we stand for and that becomes an object. Able to see the complexities of life. Realize the need to expand who we are, reinventing ourselves. Seeing across inner systems of others and our own to look at the similarities that are hidden inside what used to look like differences とのこと

4thから5thは難しい

ゴシャールの「アクティブ・ノンアクション」も「リーダーシップの旅」も私はその考え方に触れた時に「自分」への引き寄せしかできませんでした。自分はどうだっただろう、とか、自分はどうあるべきか、とか。「リーダーシップの旅」においては自分の経験の浅さもあるけれどlead the people, lead the societyのことはほとんどまだ想像することができず、lead the selfのところだけが印象に残っていました。この5thの定義からすると程遠い状態だったというのが明らかですね。

以前英語の流暢さで「英語が話せない」→「現地の人の話についていけるように文脈を読む癖がつく」→「英語がある程度話せるようになっても流す癖がついてしまってる」→「それをunlearnするのが大変」といった流れのエントリーを書きましたが、この4thから5thの切り替えの話となんだか似ているな、と感じます。

「自分はこういう人間だから」
「自分はこうとしかできないから」
「自分はこう今まで決めてきたから」
「自分にとってはこれが今まで良いやり方だったから」
・・・などなどなど

今の時代どのような選択をするか、ということが多様性が容認されているからこそ重要になっていると感じている一方で、その多くの「選択」演習を通じて私達がどんどんと習得してしまった「自分流」が固まっていれば固まるほど(成功体験が積み重なれば積み重なるほど)unlearnすることは困難になり、「4th」から「5th」への発達は容易なことではないのだな、と感じました。多分5thの発達ステージから振り返ったら、私が考えていた「「既存リソースを探しに行き、検討材料を集め、『自分の声』を聞き、意思決定をすること」がある時から自分にとっての「道の歩み型のあるべき像」」に落とし穴(必ずしも全員がこう言う道の歩み方じゃないと言う事実)とかにもすぐ気づくはずですよね・・。

まだまだ自分は30ぽっちで人生経験が足りなさすぎますが今後もこのような「!」との出会いを大切にしていきたいと改めて思わされる概念との出会いでした。

life long learningは続く。


参考:
  • Kegan, R. (1982). The evolving self: Problem and process in human development. Cambridge, MA: Harvard University Press.
  • Kegan, R. (1994). In over our heads: The mental demands of modern life. Cambridge, MA: Harvard University Press.
  • Berger, J. (2005). Living Postmodernism. Revision, 27(4), 20-27
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