「それはすべて相対的です」
Googleで「it is all relative」の訳を調べた時にでてくる「それはすべて相対的です」。これが日本語として正しい訳かは定かではないけれども(多分ちょっと間違っている)、最近それをしみじみ思うことが続いた。
私たちが自分自身のことについて感じていることや他者から受け取るフィードバックの大半は「他の人と相対的にみた場合」の話だな、と。
例えば日本人ばかりの部屋に座っているようなケースにおいて相対的に積極的に発言をするタイプの自分。カンファレンスなどでの質疑応答でも機会があれば質問をしてみようかな、と思う方だし、会議の場とか大勢でランチをしている場などでも、何らかの発言をしている時間が相対的に長くなる。
一方で、アメリカ人が大半の今の職場の会議室やハッピーアワー(平日の早めの時間に行われる短時間の飲み会)といった場所では発言量が少ない方にカテゴライズされるようになる。別に自分が話したいことが減るわけじゃないけれども、自分よりもっと多く、もっと速く、もっと大声で話す人がいっぱいいる環境だから、同じ自分でも相対的にそういうポジショニングになる。
同様に、今まで自分が日本では普通だと思っていた整理整頓の習慣や物事の進め方をnon日本人ばかりの職場で実践していると「物事の進め方が丁寧である」とか「チーム内のナレッジマネジメントに長けている」とか、日本国内では当たり前すぎて敢えて言われてこなかったようなことを言われたりする。相対的に珍しいからか、その、自分にとっては結構普通だと思うスキルが想定外に重宝されるようなことも起きたりする。
最近会社で「midyear review」たる定例フィードバックをもらう機会があり、そこで上司が360度評価の総論的な内容をシェアしてくれた。そこには、強みの一つに「EQ (emotional intellegience)の高さ」といった要素が含まれていた。
面白いな、と思った。
なぜなら家庭内では常日頃、私より(おそらく)EQが高いパートナーに「TomokoはEQが少し足りない」というフィードバックを実はもらっているから。日々仕事をしているメンバーからのフィードバックとはほぼ逆のもの。
確かにUXデザイナーの彼が「自分は『他者の考えていること・感じていること』を察する力に長けている」と自負するのも分からなくもない。でもこっちも一応instructional designerとして同じような分野に強みがあるのさ、と反論したくなるところもある。しかも同僚はEQが高いといってくれているし。
でも、一緒に数ヶ月住んでみて、わかったことがある。
相対的にみた場合、彼からの私に対するフィードバックはそれはそれで正当なものであるということが。
いや、確かに彼のほうが感受性というか他者のエネルギー・状況の高低のインパクトを受けやすいのだ。私が全然影響を受けないニュースの内容や映画やテレビ番組や知り合いの話に対して彼は私以上に心を痛めたり、私がケロッと忘れた後も、プチ後遺症的な影響が気分的に尾を引いているときがあったりする。
最初のころは「え?!」と半分冗談なのかと思っていたくらい真剣に受け止めていなかった私も、そう感じる回数を重ねるたびに、いや、彼は私とは、こういう部分でもつくりが違う人間なのだなと思うようになってきた(もともとわかりやすい形での相違の存在は理解していたものの)
つまり相対的に私は彼からみて「鈍感・無神経」であるということになる(直接そういう風には言われていないけれど思っているとは思う)。「冷徹」「ロジカルすぎる」「シリアスすぎる」「予定を詰め込みすぎる」・・相対的にみたら色々ある。
つまりIt is all relative。
最近この感覚的に感じていた相対感を具体的に数字で見ることができたきっかけがあった。それはtwitterのフィードで流れてきた
HSP(High Sensitivity Person)診断テスト
。それまで聞いたこともなかったHSPとは、そのウェブサイトによると以下のように定義されていた。
HSPとは(Highly Sensitive Person) 一般に繊細・神経質・内向的と言われる人たちが持つ「気質」
で、このテストの結果が結構笑えた。
我が家の構成は:
妹 110
母 79
私のパートナー 76
父 57
叔父さん(的な人)53
私 41
義理の弟 0
という結果で、イメージと皆のスコアがそれぞれ的確なレンジで盛り上がりました😊 — Tomoko Matsukawa / 松川 倫子 (@Mokomoko924) August 18, 2019
私と彼のスコアはそれぞれ41と76。その差30以上。私の両親コンビもsensitivityに差があって、20以上の差。妹夫婦の差はかなりのものが・・・110。つまりそれぞれのパートナーからの「あの人は●●なの」という発言はit is all relativeであるわけなので、ある程度差し引いて聞いておく必要がある。・・・そんなことを改めて思ったりした。
最後にちなみに、今日起きた出来事で私と彼の違いが浮き彫りになったシナリオ。
薬局で買い物をしていたときに、ふとレジの下に身分証明写真サイズの犬の写真が落ちていた。もしかしたら前に支払いをした女性がお財布の中から落としたのかもしれない。急いでその女性に聞いてみた。「これ落とされましたか?」その女性は笑いながら「あら可愛い犬の写真、でも私のじゃないわ。誰のかしら。」きっと誰かがお財布の中に入れていた愛犬の写真を支払い途中にお財布から落としてしまったのだ。なんと・・・
もしかしたらすでに亡くなってしまった愛犬の唯一の写真を落として、どこで落としたかも分からなくなった元飼い主は写真がなくなったことに打ちひしがれているかもしれない・・と暗くなってきた彼。
私も最初はそうかもね・・と暗くなったものの、は!相対的に暗くなっていく力が強い彼と一緒に下げてはいけないと思い「で、でもさ、もしかしたらたくさんコピーがある写真の一枚を入れていただけかもしれないし!」と言ってみる私。少しムードアップ。
それを聞いた彼も「そうかもね、うんそうかもしれない」(エネルギーが少し浮揚したのを確認)
私「ほっ。」
いや、正直サバサバ・忘れっぽい・ 長時間に渡り感情移入しない私としてはたまに「何と面倒なんだ!」と思う時もあるのですが、いい意味で勉強材料を日々目の前に出されている気がしないわけでもなく。自分とは相対的によりsensitiveな人間と共に生活をすることから学ぶものを吸収し続けるべか・・と少し真剣に思うのでした。
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