#BlackLivesMatterが再燃している2020年6月にニューヨークで思うこと
年初から色々なことがあった2020年。記憶に残っているものだけでも香港での暴動から、オーストラリアの火災だの、アメリカ対イランの緊張関係の悪化や、プエルトリコの地震、そして想定されていたBrexitも。衝撃だったコービーのヘリコプター事故もついこの間の話だし。そしてコロナ(現在継続中)。そして(再び)#BlackLivesMatterの再燃とそれに便乗して起きている暴徒の動き。
世界全体でVUCAな時代とは言われているものの(ちなみに何の略か忘れていつもgoogle検索をしている:volatility, uncertainty, complexity and ambiguity)この国に住んでいるここ数年にそれを感じさせることがあまりにも多いような気がしないでもない。
そう思いながら改めて過去の自分のエントリーをざっと振り返ってみることにした。2012年の秋に大学院に進学するために渡米してから、印象に残った出来事はできる限りこのブログにまとめてきたはずと思いながら。
そしてその上で#BLMについて現時点で自分が感じていることを備忘録として入れておこう、そんな気持ちでこのエントリーを書くことにした。
記憶に残っている「アメリカこんなことあったね」リスト
2012年。そう。ボストン生活を過ごす中で印象的だったのはこの二つの出来事だった。
過去エントリー:乱射事件から考える3つのこと - 12月 16, 2012
過去エントリー:ボストンでテロ - 4月 16, 2013
この国の社会構造の複雑性に思いを馳せ始めるきっかけとなった出来事たちだった。
そしてニューヨークに移ってからのこと。学生という身分ではなく一社会人として生活する日々。その中で入ってくる旬の話題たち。周囲が熱く語り合っていることを見聞きしながら、よくわからないなりにも「こういうことが今重要らしい」というのを頭の中で整理しようとしていた自分がいた。
アメリカ国内での人種問題という自分にとって不慣れなテーマが否応無しに自分の周りに飛び交っていると感じ始めたのもこのころ(働き始めた組織や同僚の影響も大きいとは思う)だったと記憶する。
過去エントリー:フリードマンの記事から学ぶ最近の市民デモ - 7月 01, 2013
過去エントリー:今の時代の子たちが学んでいること- 10月 07, 2013
過去エントリー:ファーガソン (Ferguson)の事件が今までと同じようで違うとこ - 11月 26, 2014
過去エントリー:超人気のポッドキャスト番組「Serial」- 11月 28, 2014
過去エントリー:マンデラの命日とアメリカでのデモ - 12月 07, 2014
そして、2016年。
ニューヨークでの生活に慣れてきたころに大統領選挙「ショック」が起きた。自分がいるニューヨークはアメリカの中の小さな世界の一つに過ぎず、自分がアメリカだと思っていた世界は「ニューヨークのリベラル層のバージョン」であったのかもしれないということが頭を過ぎるようになる。
そして「『絶対』は存在しない」「自分が知らずのうちに抱いている前提は基本的にはあやふやなものである」であったり、「『自分が知らない』ことが何かすら知らないということはいっぱいある」といったことを苦い学びとして得たことを記憶している。
そして、2018年。
パークランドでの銃乱射事件→デモという流れで始まった年初が印象的だったこの年は、秋の中間選挙前というタイミングで最高裁判事候補であったカバナー氏の承認が起きた。この国での見えざる「力」の存在、「届かない声」の存在などについてさらに強く考えさせられる年となった。
エントリーにこそまとめなかったけれども、その翌年の2019年は違法移民の取り締まり強化という大義名分のもとに行われた非人道的な行為がニュースになったり、地元NYではアマゾンの本社第二号がニューヨークに誘致されるかどうかで世論が大きく分裂したりなど、社会の少なくない割合の人が「わー!」と騒ぐ事件にこの国は事欠かない。
そして(イランとの関係悪化というカオスを経て)コロナ(3月〜)、#BlackLivesMattter(5月末〜)の2020年。
どっかから始めるしかない「『今まで知らなかったこと』に対する理解を深めていく」旅
コロナと同様「ニューヨーク(暴動やデモ)大丈夫?」という質問を日本にいる友人からは聞かれるのだけれど、コロナの時ほど単純な答えが存在しない#BlackLivesMatterトピック。
現時点で3人の友人がFacebook上でシェアしてくれた以下の情報(今後非公開になってしまう可能性あり)が自分にはしっくりくる内容だったので、それをここに記録しておきたいと思っている。
一つ目は白人の女性が公開していた自分のつぶやきビデオを私の友人がコメント付きで共有していた以下のメッセージ。ビデオ自体は非公開になってしまったのだけれど、友人のコメント(英文)と私の個人のつぶやき(日本語)を備忘用に。白人の女性には25年警官として勤務する旦那さんがいる。彼女がビデオで共有していたポイントは以下に下線部のところ。
以下のビデオは友人でありデザイナーのJames が公開共有してくれていたもの。彼の文章の一部引用と共に共有します 。
「... this woman, Melissa McCrery, gives me some hope. In this video, she shares that her husband worked in law enforcement for 25 years, and that when "things like this" have happened in the past, her default mode was to be skeptical. In this video, she passionately argues for white people to lead the work of anti-racism that black people are the last people that should shoulder this burden. She still has a lot of growth and learning to do, but who doesn't? I know I do, and I certainly don' have the courage that she must've had to summon to post this.For any of you who are also struggling to find your voice or role, or have friends who "don't do identity politics," I hope you find enough inspiration here to take a step. Please share this with those who need to hear it. 」
私もたった5年前くらいにこの国の人種にまつわる深い問題をようやく頭で理解し始めたくらいなので、I definitely have a lot of learning to do。でも、一つだけ言えるのは、過去何度も何度も繰り返されるこういう動きについて、今回は前よりも、彼女みたいな「黒人ではない人」たちの声がより多く聞こえるようになったこと。彼女が言っているように「被害を受けている人たちが最も戦わなくてはいけない現状はおかしい」というのは、本当様々な社会の課題で言えること。
ちなみにJamesは最後に「P.S. When she says "white", it really pertains to anyone who is white-adjacent or could pass as white too. Not just those who identify as white.」と締めくくっていた。コロナがあってアジア人に対する差別が出てきているとはいうものの(Jamesも私も東アジア人)自分たちは黒人の人たちに比べてwhite-adjacentなのでは、と彼は思っているのだろうか、確かにそうなのかもしれない、ということを考えさせられる投稿だった。
ニュースをみると暗い話が多くて、この国はどうなっちゃうんだろう、という気持ちにならざるをえないことも多いけれど(でも今はどこの国もそんな状況は多かれ少なかれある)、勇気を出してビデオを投稿した彼女や、これをシェアしてくれたJames。勇気と希望のストーリーはやはり感染力が強いな、と思う月曜の朝。
ちなみにこの話をフィリピン系アメリカ人の、黒人の友達もたくさんいる彼にしたところ「この国で白人に迫害された経験があるフィリピン人も日本人も『white adjacent』なんかではないよ」と強く言われ、自分の勉強不足感を痛感することもあったりした。色々難しい。(とはいえ、この図にあるような歴史の事実を見せられると、黒人の人たちに比べたら「相対的」には・・とも思わなくもないのだけれども)
二つ目は私の友人がシェアしてくれた内容。発言されている方を直接存じ上げないものの、キング牧師のコメントの引用があるのがとても良い(英語の方が翻訳よりグサリとくるのでおすすめ)"Shallow understanding from people of goodwill is more frustrating than absolute misunderstanding from people of ill will. Lukewarm acceptance is much more bewildering than outright rejection." は特に考えさせられるもの。
【アメリカでの抗議運動について】これまでも何人もの黒人が警察に殺され、#Blacklivesmatter が生まれて7年、なぜ今回が60年代の市民権運動以来の規模になったのか。アメリカの政治好きとして、自分なりに書いてみました。ご参考まで。 pic.twitter.com/Z4sJbC43jm — Taz (田澤悠 - BnA HOTEL ) (@YuTaz22) June 2, 2020
ちなみに今の職場では何か複雑系の社会的課題(または組織内の課題)に向き合うときの視点として "we are all part of the system (that is creating the problem)"というのがあり、#BLMについても似た様なことを考えさせられる。
三つ目は、こちらも私の友人がシェアしてくれていた内容。最後の方にある「アメリカ国民ではないですが、タイムラインが黒人系の友人たちの悲痛な叫びで埋まっていくのを見ていてもたってもいられず書きました。彼ら曰く、」の箇所が、同僚を通じて自分が見聞きしているメッセージであるとかアメリカの人種問題に長らく付き合っている彼から聞いている話と重なるもの多し。
自分なりの考え
そんな感じで滅多に発信に使わないFacebookに投稿をしていたら、
「なんで怒ってるかよく分かりました。ありがとうございます。ただ、何を求めているんでしょう。香港のデモは国民の求めてるものが明確だったのでわかりやすかったですが、今のアメリカの問題は警察や社会に対して国民が怒ってるってことしかわからないのですが」
という質問をくれた方がいた。それをギフトと捉え、自分なりに今の時点での考えをまとめてみる。以下、自分の返事をそのまま引用。
そうですね、私もまだまだ勉強途中なのですが、このように↓理解しています。
そもそも、社会のシステムレベルでこういう現状になってしまった背景には様々な要因があるので、「これを一つ直せば全てが解決する」というようにはなれず、それが香港の「これは受け入れられない、変えてくれ」の課題と少し違うところがあるんじゃないかなと思っています。
ちょっと飛躍しますが、例えると「腕が折れている、またはお腹を壊したから、医者や薬をくれ」系の課題ではなく「なんだか気づいたら腰が痛すぎて体の色々なところもおかしくなってきて日常生活に支障をきたしている、どうにかしてくれ」系の課題なんだと理解しています。
慢性的な習慣の積み重ねがきっかけで表面化してきた症状というのは、症状一つを治療したつもりになっても、他のところにガタがきてしまいますよね。カバンの持ち方を変えなきゃいけないかもですし、歩き方・座り方・寝方も変えなくてはいけない、もしかすると冷えとか食事もなんらかの要因があるのかもしれない。もしかすると色々精神的に抱えているストレスが原因で体が凝り固まってその負担が腰にきているのかもしれない・・
今回のアメリカの問題は、警察が次第に得てきた公的権利の中身であるとか、トレーニングのあり方、人権侵害にまで及ぶ様なアクションを起こしてもその責任があまり問われない(対象者の人種によって平等じゃない処罰)状況はもちろん、そういうことが起きていて「これはおかしいよ」と声を挙げている人たちの声をしっかり聞いてこなかった政治家であるとか、そもそもそういう声をピックアップすることの優先順位をあげなかったメディアの存在であるとか、メディアの動向を左右してきた世間一般人の興味のばらつきの存在とか、そもそも白人の人たちに比べてslavery+segragationの時期が長かった黒人の人たちをとりまく所得格差・健康格差・学力格差を考えると「自分で弁護士や医者を雇って自分を守ってね」の自己責任論がどれだけ無責任か、など・・・・たくさんの要素が背景にあります。
なので道で抗議運動をしている人たちは政策面で変えられる部分(処罰の厳重化やおそらく格差是正の問題など)になんらかのインパクトを出せればと思っている人もいると思いますが、それ以上に「もっとメディアでとりあげてよ、黒人の人だけじゃないよ、怒っているのは」という人も多いと思います。デモに参加しなくても、こうやって公的の場で様々な情報をシェアしているnon黒人の人たちが発信先の人に考えて欲しいのは「私たちもwe are all part of the problem、自分たち一人一人ができることは何かを考えよう、私はこういう風にしているよ、色々な関わり方があるけど何かからはじめよう」という点だと理解しています。
「色々な関わり方」には地元の政治家に電話をして要求を伝えるというものもあれば、デモに参加するのもあり、話題になりやすい大きな選挙にいくだけでなく地元の判事レベルの選挙など、自分の住んでいる地域の、コミュニティの、仕組み作りに関わる小さな選挙にもしっかり参加するというのもあり。
そもそも、まずは「興味をもつ」というところから始まるも全然よし。自分が今まで知らなかった・他人事だと思っていたということで実は症状を悪化させていたのだろうか、と想像力をONにするだけでも全然よし。
そもそも同じ人間として(特にアメリカの場合は同じ国に住む国民というイコールの立場として)外にジョギングや買い物にいくたびに心のどこかで今日命を奪われるかもしれないと怯えなきゃいけない人がいるって現状はどうなのか?自分ができることはどこから?と妄想力をONにするだけでも全然よし。
自分たちが無関心または無知、または「大変だねぇ」という感じのby stander(傍観者)であったところから、そうじゃなくなったときにメディアであるとか大企業であるとか「大きな流れ」を作りうるプレーヤーに与えられるインパクトってなんだろうか・・、こういう課題に長年直接的に取り組んでいた草の根団体はどこでどうやったらそういうところを直接的に応援できるだろうか・・・ここまでメディアで取り上げられたり身近になってくると、今度は学校から帰ってきた子供達、または同級生の間で話を聞いて帰宅してきた子供達にも聞かれることは必至です。それがドライバーになって今回色々考えている人もたくさんいると思います。
もちろん現大統領の支持者の様に、違う捉え方をしていて、これが「腹痛問題」であると捉えている人もいるのがこの国アメリカです。彼らが課題を「腹痛」と捉えている限り、特効薬を飲み込めばいい、と思っていると思いますし、そこが本当1人1人がどう今見えている症状を捉えたいか、それを踏まえ自分はどういう役割を担うか・担いたいかを問いているのだと私は理解しています。
長くなりましたが 、 「慢性的腰痛」をゆっくり直していくのには時間がかかるので、自分の体力気力の状況に意識を向けつつ、でも10−20年後に自分の子供達に「お母さんは2020年のあの大変なとき、どう過ごしていた?」と聞かれたときに悔いのないような日々の過ごし方をしたいとは思っています。
ちゃんと勉強している人やこのトピックにもともと詳しい人からみたら突っ込みどころ満載な内容なんだろうなとは思う。自分でも勉強不足であることは重々承知しているし。でも、you have to start from somewhere。
そんなことを思いながら昔書いたこの記事を思いだしたりした。
過去エントリー:Being interestingではなくbeing interestedでいるために - 4月 13, 2014
2020年の6月。ニューヨークにて。