Global Education 前半 - ハーバード教育学部卒業生イベントより
今夜はHGSEの卒業生向けのイベント「Educating Global Citizens」に終業後足を運んできました。スピーカーはProf. Fernando Reimers。
以前ブログに書いた「Education Innovation Day@iLab」のエントリ-に登場していた教授です。
「Once a HGSE student, always a HGSE student」というフレーズが帰り道、頭の中に浮かんでくるような、現役学生時代を彷彿させるような、学びの刺激に満ちた1時間半でありました。久々の、教育に関する知的インプット。幸せでした。
忘れないうちにまとめなければ、と。二回に分けて書きます。まず最初のこのエントリ-は、そもそもGlobal Education又はGlobal Citizenとして求められているCompetency(スキル・素質)とは、に関する話です。
ふと思い出したのが、以前、ハーバードのCenter on the Developing Child(研究所)でのインターン中に参加した 「The Frontiers of Innovation」カンファレンス。このテーマが幼少期教育におけるExecutive Function Skillの重要性だったのですが、この「Executive Functionl」というのも、Global Educationと同じくらい定義がふわっとしている世界です。大切な気がするし、皆そう思っている、でも何をどうすればいいかはまだまだ世間の大多数では「?」な課題。その時も、こういうふわっとしたものを一旦定義(仮)する大切さを学んだな、と思いながらReimers教授の話を聞きました。(Executive Functionについては こちらを)
ちなみにReimers教授本人の「Global Competency」の定義はGoogle検索して見つけた こちらの資料のP3にありましたが、意訳すると:①(個人間に存在する文化的な)違いに前向きに向き合う力/他者との違いを世界に普遍的に存在する価値観に基づいて理解する力、②母国語以外の言葉で話し、理解し、考える力、③世界の歴史/地理/各種グローバル課題(ヘルスケア、環境問題、経済)/グローバル化そのもの、に対する深い理解と幅広い知識、また複雑な今日のグローバル課題に対して理論的に・創造的に取り組む力・・・・・・の3つでした。
これらのCompetencyを身につけてもらおうとするのがGlobal Education。彼はそのように定義付けています。
「自分の考える定義を一旦対外的に発表してみたらそれを元に様々な対話が始まった」と言っていたReimers教授。重要なのは、彼の定義を鵜呑みにするのではなく、このような「仮」のものを定め、当事者間のディスカッションを活発にすることなのだ、というメッセージでした。
インパクトインベストメントとは?という話題が出てくる自分達の業界で起きていることを連想させられました。
Reimers教授が語った「(そういった教育を得た個人の)あるべき姿」の仮説には3つの、互いに関連するOutcomeが描かれていました。
定義と同じく、彼が述べたこの三つをそのまま受け入れなくとも、Global Educationを通じて育てようとしている人間の「あるべき姿」を具体的に考えることが大切だということがここでも強調されました。
定義とあるべき姿のイメージが押さえられて初めて「どういう体験を提供すればそのような人材が輩出できるのか」「具体的にどう教えようか」「そのためにどのように教師を育成するか」などのディスカッションが始まると。
これはカリキュラムデザインでは当たり前の流れですが、この流れが(どのような育成プログラムの設計においても、それが例えば10人少しを対象にした研修設計でも、国が定める義務教育のカリキュラムの設計においても)Global Educationという文脈においても何ら変わりのないものと確認することができました。
「Once a HGSE student, always a HGSE student」というフレーズが帰り道、頭の中に浮かんでくるような、現役学生時代を彷彿させるような、学びの刺激に満ちた1時間半でありました。久々の、教育に関する知的インプット。幸せでした。
忘れないうちにまとめなければ、と。二回に分けて書きます。まず最初のこのエントリ-は、そもそもGlobal Education又はGlobal Citizenとして求められているCompetency(スキル・素質)とは、に関する話です。
まず定義(仮)から
日本語でも「Global Education/Global Competencyってなんぞや?」という感じですが、こちらでもそれは同じようでした。そもそもフワッとしているもの。同じ学校内の先生同士でもイメージが異なっている場合が大半だとか。Reimers教授は、まず定義付けから始めよ、と言われました。ふと思い出したのが、以前、ハーバードのCenter on the Developing Child(研究所)でのインターン中に参加した 「The Frontiers of Innovation」カンファレンス。このテーマが幼少期教育におけるExecutive Function Skillの重要性だったのですが、この「Executive Functionl」というのも、Global Educationと同じくらい定義がふわっとしている世界です。大切な気がするし、皆そう思っている、でも何をどうすればいいかはまだまだ世間の大多数では「?」な課題。その時も、こういうふわっとしたものを一旦定義(仮)する大切さを学んだな、と思いながらReimers教授の話を聞きました。(Executive Functionについては こちらを)
ちなみにReimers教授本人の「Global Competency」の定義はGoogle検索して見つけた こちらの資料のP3にありましたが、意訳すると:①(個人間に存在する文化的な)違いに前向きに向き合う力/他者との違いを世界に普遍的に存在する価値観に基づいて理解する力、②母国語以外の言葉で話し、理解し、考える力、③世界の歴史/地理/各種グローバル課題(ヘルスケア、環境問題、経済)/グローバル化そのもの、に対する深い理解と幅広い知識、また複雑な今日のグローバル課題に対して理論的に・創造的に取り組む力・・・・・・の3つでした。
これらのCompetencyを身につけてもらおうとするのがGlobal Education。彼はそのように定義付けています。
「自分の考える定義を一旦対外的に発表してみたらそれを元に様々な対話が始まった」と言っていたReimers教授。重要なのは、彼の定義を鵜呑みにするのではなく、このような「仮」のものを定め、当事者間のディスカッションを活発にすることなのだ、というメッセージでした。
インパクトインベストメントとは?という話題が出てくる自分達の業界で起きていることを連想させられました。
その教育のゴールにある「あるべき姿」イメージ
そして、定義のディスカッションの後は、どういうOutcome(成果)を狙うかというところの対話があるべき、とReimers教授。具体的にGlobal Competencyを子ども達(または大人)に習得してもらうことを目指しているGlobal Education。これらCompetencyを身につけた個人とは一体どのような人間なのか。Reimers教授が語った「(そういった教育を得た個人の)あるべき姿」の仮説には3つの、互いに関連するOutcomeが描かれていました。
- 一つは(上記のGlobal Competencyの定義の③に近いものとして)課題に対してInnovative、または、Creativeな解決策を見出すことができる人。
- 二つ目は、Self Knowledge(自己理解)がある人間であること。そのような人になるためには内省力、ゴール設定&自己の現状把握力、(自らの足らざるを認識して)学ぶ力・・と様々なスキルが求められます。ハワードガードナーのいう「Intrapersonal skill」に近いものだ、と別のHGSE教授を引用するReimers教授。
- 三つ目はCapacity to work with other(他人と協働できる能力)を有すること。そのためには人の話を聞く力であったり、共感力であったり、他人を動かす力、他人の置かれている環境/状況に自分を重ね合わせ想像する力などが重要になります。
定義と同じく、彼が述べたこの三つをそのまま受け入れなくとも、Global Educationを通じて育てようとしている人間の「あるべき姿」を具体的に考えることが大切だということがここでも強調されました。
定義とあるべき姿のイメージが押さえられて初めて「どういう体験を提供すればそのような人材が輩出できるのか」「具体的にどう教えようか」「そのためにどのように教師を育成するか」などのディスカッションが始まると。
これはカリキュラムデザインでは当たり前の流れですが、この流れが(どのような育成プログラムの設計においても、それが例えば10人少しを対象にした研修設計でも、国が定める義務教育のカリキュラムの設計においても)Global Educationという文脈においても何ら変わりのないものと確認することができました。
2年前に発表された国連からのメッセージ
シリーズ②に別途「なぜGlobal (Citizen) Educationが今注目されているのか&重要なのか」のことを書こうと思うのですが、一つだけ、この回に加えようと思ったこと、それは近年発表されたという国連からのメッセージです。
今夜まで知らなかったのですが(恥)国連は2012年の9月に「
Global Education First Inititiative (GEFI)」という5年もののイニシアティブを立ち上げました。かの有名な
MDGの教育関係分野に特にフォーカスをした取り組みのようです。Education for Allの取り組みにも関連がある様子。
以下が同HPのスクリーンショットですが、3つの優先項目が挙げられています。Reimers教授曰く、最初の二つ(アクセスと質)は特に新しいことではない、と(確かにそうですね)。ただ、三つ目の「Foster global citizenship」がここに改めて含められるようになったことは大きな意味をもつ、と。
http://www.globaleducationfirst.org/ より このページを見ていると Global EducationとはGlobal Citizen Educationと同義のようですね。 |
Reimers教授は、国連のイニシアチブに改めてそれが取り上げられたことのインパクトの背景を説明するために一つの昔話をしてくれました。
実は1928年にも、Global Citizenshipを教育に取り組む必要性が唱えられたことがあったようなのです。Columbia大学の教育学部に匹敵するTeachers Collegeが創立されたときに掲げられていたミッションは「平和」や「Democratic Societyの構築」。そんな理念に共感して、TCで教鞭をとっていたIsaac Kandel教授が「世界はより相互依存関係になっていく、高校生にもその事実を理解させることが必要だ」と言ったのが1928年でした。
当時のKandel教授の目指す「(学生達の、教育を受けた後の)あるべき姿」は「世界で何が起きているか、自分達にどういう影響があるかを知り、理解できていること」といった、知識と認知力への働きかけに重点が置かれたものでした。
そして、そのKandel教授が言っていたことと、今叫ばれているGlobal (Citizen) Educationは似ているようで、少し違うのだ、とReimers教授。今求められているのは、もはや知識や認知科学の世界に留まるものではなく、上記の通り、「①Creative/Innovativeで、②Self Awarenessのある、③Work with othersができる」人間を輩出する教育。だから1928年の時とはメッセージが少し違うのです、と。
このような「Global (Citizen) Education - upgraded - 」的なものが改めて国際的に重視されているという状況は、だから比較的Newであり、かつ注目に値する話であるようなのです。
とまあ、ここまで書いても、「ふーん」という感じかもしれないので、シリーズ②では「何故必要なのか・疎かにするとどういうことがあるのか」的なことを書こうと思います。
国連にあると教授が言っていた有名な絵 Norman Rockwellによる絵のようですが 「あなたが人にしてもらいたいように、あたたも人にしなさい」という意 |
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