システムの中にいるということ、外にいるということ

とあるシステムから少し離れた「外」にいるから持つことのできる客観的な視点というものがある。そしてそれがたまに役立つときがある。

二つの異なるシステム、または世界の両方に片足をそれぞれ突っ込んでいる状態だからこそ、双方のそれぞれの良さを相対的に捉えることができることもある。そして、必要とされてる箇所にそれぞれ気づきであるとか、何らかのアイディアのきっかけを届ける役割を果たすことができることもある。
  • 日本というシステムの外に住んでいる日本人
  • とある業界(システム)を離れて別業界に行った人
  • 大都市というシステムを離れて地方都市で生活するようになった人
  • サラリーマン&ウーマンからフリーランスや起業家になった人
  • 働き人(によって構成するシステム)から社会人学生になって学校というシステムに入って行った人

中にいないから理解できない事

でも、二つの世界のどちらかで過ごしている時間が片方に比べて多くなればなるほど、実は注意しなくてはいけない落とし穴も大きくなる。例えば海外生活が長くなって来た日本人が日本について何かを言うのもそうだし、全然違う事例だと子供が生まれ子育てに没頭する世界に入っていた人が、独身の人に何かを言うのもそう。

両方見えるような場所に今いる(過去いた+今いる)からといって、やっぱり今自分がいないシステムについて、「外」からわかることは完全なものではない。なぜなら自分が離れているシステムの中にいる人だって、またはそれを取り巻く環境だって刻々と静かに変化をしているものだから。

私たちに与えられた時間は平等で、その時間をどう行った環境で過ごすかの選択肢はその瞬間瞬間では一つしかなく。

そう考えると、どれだけ頑張って意識していたとしても、両足をAとBの世界にバラバラに突っ込んでる状態の人、または昔Aに片足・または両足を突っ込んだ経験がありながら、今はBに両足を入れている、と言う人が、Aと言う世界に両足を入れてる人間を完全に理解する・そして理解した上で相手のためになりそうなことを伝えるとか届けるってそもそもできることなんだろうか、と言う疑問が頭に浮かぶ。

対話を深めていったり、ある程度時間を共に過ごして理解したとしても、客観視というレンズを使った情報整理はできるのかもしれないけれど、本当の意味で彼らを理解できるのだろうか。その中にいる人たちの気持ち、大切にしてること、逃れられないしがらみや、何かが変わることで手放すことになってしまうことについて理解することは本当にできるのだろうか。

多分それは難しい。難しいからAcumenみたいな中間支援組織は結構前から現地のリーダー的存在の人たち・コミュニティが不可欠だと言い始めたんだと思う。

外にいながら関わりたいなら意識しておくべき事

でも現地・または「システムの中」にいないと何もできないのだろうか、というと、それも違うのだと思う。最初に書いたように、外にいるから持っているリソースだったり知恵とか気づきのきっかけとか紹介できる外の人とかがあるのだから。

そんな「外」にいる人が、なんらかの「システムの中」にいる人たちと良い関わり方をしたいと思うならば、やっぱり不可欠なのはhumilityなんだろうな、と思うことが最近あった。
  • 自分がどんなに頑張っても「中」にいる人たちのことを完全に理解するのは難しいかもしれないけれど、という現実を受け入れるhumility
  • 「中」のひとたちと関わっていく過程で、自分の見方が間違っていた・偏っていた、という自分の過ちを受け入れるhumility
と同時に、そんなhumilityを抱きながらも、自分は全てを理解してないけれど、自分が役立てることがあるか分からないけれど、何かできることがあるはずだから、こういう世界を一緒に作るために、一緒にやっていこうよ、と信じ続けるaudacity。

そんな二つのバランスがとても大事なんだと改めて思う。

どんなシステムもそれぞれの理由があって現状がある

ケネディスクールの有名な授業のAdaptive Leadershipの論点の一つに「No system is dysfunctional」という考え方がある。外から見て機能破綻してるように見えているシステムにも、そうなっている理由、今の状態で保たれている均衡や、現状維持を希望する人たちや、現状で利益を得ている人がいる。だから「今の状態を(システムを)より良くしたい」という人たちに、第一歩としてするべきことは、「こうあるべきですよ」「こんな世界になったらいいこと起こりますよ」と叫ぶのではなく、今の状態の中にいる人、システムの中にいる人と仕組みの様々なパーツを丁寧に紐解くことから始めるべし。そんな主旨が書かれている一章だ。

中間支援を担う組織に身を置いてる人間として、または日本の外から日本の中の人たちと関わることが多い人間として、改めてこういうことを忘れないようにしたいと思う、今日この頃。

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