Tomoko Matsukawa 松川倫子

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やりがい至上主義の罠

「Insight」という、self awareness(自己認識)に関する研究内容をまとめたTasha Eurichの本(日本語のタイトルは「insight(インサイト)――いまの自分を正しく知り、仕事と人生を劇的に変える自己認識の力」(2019年6月 Amazon.co.jp)が面白い。

self awarenessの英語での定義は色々あり人によって解釈は色々なので日本語訳もなかなか難しいのだけれど、彼女はざっくりこんなふうに定義づけていた:

self awareness = fully knowing who you are—your values, passions, goals, personality, strengths and weaknesses—and understanding how others perceive you(自分の価値観、情熱、目標、性格、長所、短所など、自分が何者であるかを十分に知ることであり、他人が自分をどう見ているかを理解すること)

単に自分が知っているだけではなく、他人からの見え方も理解していることが重要と彼女はいう。 それを簡単にまとめてあるHBRの2018年のこの記事は話題になった有名なものでもある。

そんな彼女のメルマガの最新版が色々と考えさせられる内容だったので今回はそれについて。

彼女のメルマガのタイトルは「The danger of meaningful work」。やりがいを感じることのできるシゴトの危険、とでもいうトーンだろうか。

NPO・インパクトセクターと言われる業界に入って6年経つなかで自分が思うようになってきたことと近かったので備忘&シェア目的にここに紹介してみようかな、という感じで。

やりがい至上主義の流れ 

まず、メールの前半で印象的なのは(彼女の)現状認識。

How fulfilled we feel at work is becoming more and more central to how we measure our lives。(私たちがシゴトでどのくらい満たされた気持ちになっているかどうかは今まで以上に自分たちの人生に対する評価に大きな影響を与えるようになっている)

確かにこの数年「finding meaning to one's work(自分のシゴトの意味や存在意義を見出す)」という動きが「流行っている」・・・・ような、とりあえずそんなフレーズを聴くことが多いのがここ数年の私の個人的な感覚でもある。

Dr. Eurichが紹介していた「feeling a sense of significance in what we do ▶︎ positive and enriching life」という学術研究結果が本当だとしたら、おそらくそれを体感することができている幸運な人たちが「これ(やりがいがあるシゴトをしている日々)いいよ!自分は幸せだ!」というメッセージを多く発信していてもおかしくないし、メディアで取り上げられるストーリーなどをみていても社会として「meaningful workに一生懸命向き合っている人たちを応援しているよ」みたいな空気はあるような気がする。

一時期「ikigai」を要因分析したこの図が英語圏でバズっていたり(日本人の自分でさえここまで精密に分析してロジカルに整理したことがなかったのでなかなか興味深い記事ではあった)、新しい家族ができたりして他のsource of meaningやfeeling a sense of significanceを得ている友人たちがシゴトを通じた自己の存在意義の部分の模索を続けているのを見たり、CTIでは、コーチとして意識しなくてはいけない重要項目の一つとしてクライアントのfulfillmentの源泉の深掘りが扱われていたり、・・・「シゴトでの満たされ度」「やりがい」は重要だとされている気配は色々なところに漂っている。

そんな流れを踏まえてDr. Eurichが今回のメルマガで釘を刺していたこと、それは

「happiness(幸せ)とmeaning(意味合い.... やりがいを感じる際の背景にあるもの)は別物だよ」

というもので、個人的にもそれはとても大事なポイントだと思うのだ。

やりがいと幸せがずれる時

彼女は彼女自身の体験を元に、このhappinessとmeaningが必ずしも一致するものではない、という持論を展開。

そのメッセージを自分が勝手に図で表現すると以下のようなものではないかと感じている。

「AではなくBをみてごらん、必ずしも黄色の中にいることが赤いhappiness三角の中にいるとは限らないのだよ」ということだろうか。

See this content in the original post
  • 青い四角は何らかのシゴトを持っている人たち全て

  • 黄色の円はそれらのシゴトにやりがいを感じている人たち

  • 赤の三角は幸せを感じている人たち

ちなみに個人的にはこの丸のサイズは青い箱いっぱいに広がってもいいのかもと思っているものの、最終的には個人の捉え方の問題でもあるので、便宜上こういう風に表現。参考 お金以外の働く意味を考える本「なぜ働くのか」) 

Dr. Eurichがメルマガので強調していたのは、この図Bにおける「黄色の円の中but not within赤の三角という部分の存在・そのリスク」だった。

やりがいを感じるからこそ、自分のある一部が満たされた気持ちになるからこそ、自分がそこに立っている(または走り続けている)ことを忘れがちになる。

でも自分という人間のケアは自分以外の何者もできないし、してくれない

"..must fight to cultivate balance and set boundaries so we can deploy our talents in a sustainable and sane manner" - Dr. Eurich 

私たちは、持続可能で理性を保ち続けた形で才能を発揮できるように、バランスを保ち、自分にとっての「ここまでなら大丈夫」な線引きができるよう闘わなければなりません。

「闘う」または「負けないように努力する」という意味のあるfightという動詞が使われている。これ、「やりがいワールド」の中にいる自分だからよく分かるけれど、すごく適切な動詞だと思う。 

なぜなら、やりがいを感じ続けられるというのは、結構特殊で、世間一般的にとても恵まれた状況であると共に、ある種の覚醒状態にいるようなものだと個人的に思ったりするから。 

自分の中の湧き上がる気持ちやハイな気持ち、他者からの期待や感謝という形のある種のクスリ漬けになっている自分に冷静に向き合うには結構な真剣さが求められる。 

シゴトが楽しいと、ついついあと30分、あと1時間とPCに向き合っている時間を延長してしまいがちな自分。それを早めに切り上げるというのは結構苦しいことだったりする。自分の中で二人の人間がまさに戦っている感じ。

それでも彼女が

「 so we can deploy our talents in a sustainable and sane manner」

と書いているように、短期的にちょっと違和感を感じる行動を取らざるを得なくなっても(もっとできるはずのシゴトを早めに切り上げる、頼まれごとにNOという、チャンスをスルーする)長期的には重要な・懸命な選択であるということは結構ある。

自分たちのベストな状態で他者に、社会に貢献し続けるためには、または自分の周囲の大切な人たちに犠牲を強いることのないようにするには、そして自分がサステイナブルに、分別のある人間として人生の長期マラソンを走るには、本当に大切なこと。

自分は今幸せなのだろうか、三角の中に今自分はいるのだろうか、と問いかけること。

ちなみに日本語でたまに聞くことのある「やりがい搾取」というフレーズ。英語でそれに相当するのがあるのかは知らないけれど、搾取されてしまう側にも立ち止まって考えてみると選択肢はあるはずで、搾取する側・組織だけを非難するのは間違っている(と私は思っている)

上に書いてあるように「ここまでなら大丈夫」というboundary(境界線)を引くのは自分。

今日この瞬間の私はありがたいことに赤い三角の中に立っている。

でも、いつ何が起きてそのバランスが変わるかどうかもわからない。

だから今自分ができることは、これからの自分のために、定期的に自分の立ち位置を振り返ること、fightする必要性が出てきたときに難しくてもその努力をすること、そういうことを意識しておくということなのかな、と思ったりした。

そんなことを彼女のメルマガから考えさせられた。

最近読んだLinkedinのIt's Later Than You Thinkも似たようなことを考えさせられる内容だった。私たちに与えられた時間はきっと私たちが思っているよりも短い。だからこそmeaningは追求したいけれどhappinessもおろそかにしたくない、そのためには意志をもって自分の状態を振り返り必要な行動を取る必要がある、そんなことを思ったりする。

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